弁慶とは~武蔵坊弁慶の逸話や最後の地となった衣川の戦いと弁慶の墓など


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武蔵坊弁慶(むさしぼう-べんけい)は熊野別当・湛増の子で、紀伊国出身ともされますが、生年も不詳で出自や生い立ちはよく分かっていません。
幼名は鬼若ともされます。

京で育ち比叡山に入った鬼若(弁慶)でしたが、修行にも身が入らず乱暴ばかり働いていたので、追い出されたとされます。
そして、自ら剃髪すると「武蔵坊弁慶」と称して、四国に渡りますが乱暴を繰り返し、のち、播磨の書写山圓教寺では堂塔を火災に合わせてしまったと言います。

そして、怪力無双を試すべく、弁慶は千本の太刀を奪おうと決意し、京に戻ります。
道を通る武者を襲っては太刀を奪い、その数は999本となり、あと1本で目標の1000本と言う所まできました。

最後の1本を奪うべく五条大橋で待ち受けている所に、笛を吹きながら歩いてきた源義経がやって来たため、弁慶は襲撃します。

しかし、源義経(牛若丸)は、欄干を飛び交うなど、身軽な身のこなしで避けると、弁慶を返り討ちしました。
この源義経に降参した弁慶は、それ以来、源義経の家来となったと言うのが、伝説な訳ですが、もちろん後世に作られた創作と言って良いでしょう。

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実際に、どのような経緯で源義経の家来になったのか?は、不明と言えますが、武蔵坊弁慶は7歳~17歳の10年間、書写山で修行したとされています。

下記は書写山・圓教寺にある「弁慶の鏡池」です。
いたずら書きをされた顔が映ったことから、弁慶が激怒したと伝わります。

弁慶の鏡井戸

下記は同じく、書写山円教寺にある護法石と言い、弁慶のお手玉石とも呼ばれています。

護法石(弁慶のお手玉石)

そして、弁慶は荒法師でありながら、忠臣としてその生涯を源義経に捧げたのです。

弁慶と源義経の像

平家討伐では功名を立て、源義経が兄・源頼朝と対立すると、鎌倉・腰越にある満福寺から京を落ちるのにも同行しますが、この時にも、山伏に姿を変えると言う弁慶の智謀と怪力で、源義経一行を助けました。

奥州へ逃れる際、加賀の安宅の関では、山伏に扮しているところを番人・富樫左衛門に見破られます。
山伏の証明でもある「勧進帳を出せ」と言われため、弁慶は持ち合わせの巻物を広げて、朗朗と読み上げました。
難なく切り抜けられそうでしたが、富樫左衛門の部下が、傘で顔を塞いでいる者が、源義経に似ていると言いだします。
疑われた源義経を、弁慶は自らの金剛杖で「「お前が義経に似ているために、あらぬ疑いをかけられてしまったではないか」と、何度も何度も打ち据えました。
富樫左衛門は主人を痛めてでもと言う、弁慶の心情に感じ入り、騙された振りをして源義経の一行の通行を許したとされます。
そして、無事に関を越えた弁慶はは、心ならずも主を殴ったことを泣きながら謝罪したと言います。

奥州にたどり着いた源義経の一行は、衣川館(高館)に屋敷を与えられました。
平穏無事に過ごせると思ったのも束の間で、源義経を迎え入れた藤原秀衡が死去すると、後を継いだ藤原泰衡は鎌倉幕府から「源義経を捕縛せよ」との圧力に耐え兼ねられなくなります。

衣川の戦い

1189年閏4月30日、再三の鎌倉の圧力に屈した藤原泰衡は、照井太郎ら500騎にて、衣川館(高館)を襲撃しました。

迎え撃ったのは、源義経の主従である武蔵坊弁慶、鈴木重家、亀井重清らがわずか10数騎であり、多勢に無勢・・。

弁慶は、源義経が籠った堂の入口に立って薙刀を振るって防戦し、無数の矢を受けて立ったまま絶命したとされ「弁慶の立往生」と語り継がれています。

武蔵坊弁慶

下記は弁慶や源義経の最後の地とされる、平泉・義経堂(衣川館) です。

平泉・義経堂(衣川館)

そして、世界遺産でもある平泉・中尊寺の参道には「弁慶堂」も建立されており、下記のとおり弁慶と源義経の像が奉納されています。

弁慶と源義経の像

その中尊寺の入口手前にある小さな緑地に、弁慶の墓と伝わる石碑があります。
中尊寺のバス停近くです。

弁慶の墓

弁慶の墓がある場所ですが、下記の地図ポイント地点となります。

駐車場は、平泉・中尊寺の有料駐車場(第1駐車場)に止めて、中尊寺を訪問する前にでも立ち寄る事をオススメ致します。
第一駐車場からは歩いて1分ほどの距離です。
中尊寺の参道沿いにも、弁慶を祀った「弁慶堂」がありますので、もちろんセットでご訪問願います。

数々の伝説を残した忠義の無双・弁慶。
どんな思いで散ったのか?、少しでも思いを寄せて頂けますと幸いです。

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