カテゴリー:その他武将

  • 荒木村重とは~池田家家臣から摂津37万石の大名に出世した豪傑

     荒木村重は、1535年、荒木義村(荒木信濃守義村)の嫡男として生まれた。祖父にあたる荒木高村の子とする説もある。  母の名などは不詳。  元々、荒木家は波多野氏の一門で、荒木村重から見ると祖父にあたる荒木高村が…
  • 荒木だし(荒木ダシ、たし)~荒木村重の継室?

     荒木ダシは、有岡城主・荒木村重の正室だとされるが、1561年に荒木村重は正室・北河原長勝の娘との間に嫡男・荒木村次が誕生しているので、荒木ダシは「継室」又は「側室」と呼んだ方が無難か?  「だし」という名前はクリスチ…
  • 櫛橋左京進(櫛橋伊則、櫛橋政伊) ~志方城主 

     櫛橋左京進(櫛橋伊則、櫛橋政伊)は、櫛橋伊定(くしはしこれさだ、櫛橋左京進、櫛橋左京亮伊定、櫛橋豊後守伊定)は、志方城主・櫛橋左京亮(櫛橋伊定)の子。  櫛橋家は藤原氏の末裔で、代々赤松家の家臣だったが、有力勢力…
  • 赤松政秀~土器山の戦いと母里武兵衛・母里小兵衛

     1569年6月頃、青山の戦いの翌月にあたるが、赤松政秀が再び兵3000を率いて姫路城へと攻めて来た。  黒田官兵衛が仕える小寺政職は殆どの兵を連れて、赤松義祐と置塩城に籠城。  攻めて来た赤松政秀は小丸山に…
  • 後藤又兵衛(後藤基次)~不運な晩年を過ごし大阪城に入る

    後藤基次(ごとうもとつぐ、後藤又兵衛)は1560年、播磨国姫路近郊の神東郡山田村に生まれたとされる。  (さらに…)…
  • 小寺政職と御着城~黒田官兵衛の能力を高く評価した大名

     御着城主・小寺氏は、もともと播磨国佐用庄の地頭で、室町時代に播磨守護となった赤松氏の一族であり、鎌倉幕府滅亡後は、代々、小寺氏が姫路城の城代を任されていた。  赤松氏の家臣だった浦上村宗が主家・赤松氏を凌ほどの実権を…
  • 太田資武・太田景資となぞの太田資忠?

     太田資正の3男・太田資武は15歳で初陣し、手這坂の戦い、府中城攻めなどにて戦功を挙げた。  父・太田資正の死後に家督を継ぎ、安房守を名乗っている。  小田氏治が元の居城・小田城を奪回攻撃した際に、梶原景国(梶原政景…
  • 小笠原長時~信濃守護の戦国大名

    小笠原長時 (オガサワラ ナガトキ) 1514年11月9日 ~1583年4月17日  1514年11月9日小笠原長棟の長男として生まれる。  小笠原氏は、甲斐源氏・加賀見遠光の次男・加賀見長清が、甲斐国小…
  • 村上義清~北信の雄・葛尾城主【村上義清居館跡など】

    村上義清  1501年3月29日~1573年2月3日 村上氏の先祖は、清和源氏のひとつである河内源氏の初代・源頼信の庶子・源頼清を祖とする。 源頼清の孫にあたる源盛清は、長兄で白河上皇に仕えていた源惟清の養子とな…

スポンサーリンク
スポンサーリンク
 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1. 曳馬城主である飯尾連竜(いいお-つらたつ)は、今川義元に仕えていた。 飯尾致実(いいお-のりざね)…
  2. 大蔵卿局・大蔵局(おおくらのつぼね)は浅井長政の家臣だっとされる大野定長の妻で、茶々の乳母であったと…
  3. 寿桂尼(じゅけいに)は、藤原北家である勧修寺流の中御門家(公家)・権大納言中御門宣胤の娘で、兄に中御…
  4. 吉岡妙林尼(よしおか-みょうりんに)の生い立ちは良くわかっていませんが、父は林左京亮、又は丹生正敏(…

人気の戦国武将

  1. 稲葉一鉄(いなば-いってつ)は、土岐頼芸の家臣・稲葉通則の6男として、1515年に美濃池田の本郷城に…
  2. 長篠城を包囲した武田勝頼に対して、徳川家康・織田信長が38000の援軍を派遣すると、武田勝頼が120…
  3. 1582年6月2日の本能寺の変で織田信長を倒して明智光秀ですが、なかなか味方してくれる大名がいなく苦…
  4. ▼徳川家康は天文11年(1542年)に、三河国(現在の愛知県東部)岡崎城で小大名・松平広忠の嫡男とし…
限定「頒布」開始しました。無くなり次第終了です。
戦国オリジナルバック
 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります
 オリジナル書籍
柳生一族
書籍・電子書籍にて販売開始

 オリジナル電子書籍

戦国武将研究会著作
ページ上部へ戻る