真田幸隆・真田昌幸の墓「長谷寺」上田市真田の里


スポンサーリンク
スポンサーリンク

信州上田真田の里紀行真田幸隆真田昌幸の墓がある「長谷寺」です。

上記写真は1547年に真田幸隆が開いた寺が「真田山長谷寺」です。
長谷寺と書きますが「ちょうこくじ」と読みます。
その名のとおり、長い谷上の台地奥にあります。

※各写真はクリックすると拡大します。

もともとは、白山信仰を集めた岩井堂が、もう少し標高が高いところにあり、種月庵(創立年不詳)という住職のいない小さな寺が少し上にあったようです。

上記のように、境内入口には、アーチ型の大きな石門があります。
写真はではわかりにくいですが、六文銭の彫刻が施されております。

 スポンサーリンク


最近作られて物では無く、創建当初からあったようでして、1つの岩を切り出したと考えられています。
真田昌幸によって整備されて、真田家の菩提寺となりました。

境内には真田幸隆夫妻と、真田昌幸の墓があります。
写真の中央が真田幸隆、右が真田昌幸、左が真田幸隆・正室(恭雲院)の墓です。
墓の場所ですが、本堂の右脇奥から山の方へ50mほど入って行くとあります。

▼真田幸隆が武田信虎らに信州を追われ、上州に数年亡命していました折、面倒を見てくれたのが、安中・長源寺の住職で晃運という人。
武田家が武田晴信に代替わりすると、真田幸隆は自ら武田晴信に随身し、村上義清から戸石城を奪うことに成功しました。
そして旧領を回復して真田の里に復帰します。

▼真田幸隆は、上州安中から約束通り晃運和尚を呼び寄せて長谷寺の開基に招きました。
関ケ原の戦い後は真田信之の上田領として残りますが、真田信之も松代城に転封となった際に、長谷寺も松代城下に移り、こちらは長国寺になったそうです。
墓所には、苔の生えたいたる場所に同種のコイン6枚をお供えして、「真田六文銭」に縁起をひく参拝者が多いようです。

以上の寄稿は柳生聡。

無料駐車場やトイレもあります。
行き方・アクセスは下記の地図をご参照願います。
かなりの坂道を上がって行きますので、自転車だとキツイと思います。
また、墓所はジメジメしていますので、夏場は「虫除け」必須とのコメントも賜っております。

上田市の真田の里を訪れる方への観光所要時間など、下記にまとめてあります。

他の真田の里紀行をみる
真田昌幸~戦国時代を巧みに生き抜き真田家を守った名将(詳細版)
後閑氏の存亡と後閑信純とは~後閑城の訪問記
真田家墓所がある松代「長国寺」のみどころ~真田信之の霊屋など

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  1. 体調はいかがでしょうか?
    ここだけは行ってないです。
    旦那が墓マイラーの資質にかけていて(そもそも墓参りに資質ってあるのか?という問題ですね。新選組と白虎隊以外のお墓参りは、しないんです。会津行った時でさえ局長の墓には、この日は雨上がりだから危険との地元の方の意見を無視してまでいくのに会津松平家の御廟には断固いかなかない。謎多し。)
    レポ読めて良かったです。

    • 高田哲也
    • 2015年 4月 28日

    寺田さま、いつもコメントありがとうございます。
    熱中症の件は、栄養ドリンクを飲みまして大丈夫です。GWに向けて、良い、身体慣らしになりました。
    Facebookに余計な事、記載してしまったもので、ご心配お掛けし申し訳ありませんでした。
    ご主人様のお墓嫌いは、そのお気持ち、わかるような気がいたします。
    私も、歴史の流れと申しましょうか、全体の出来事が好きだった頃には、わざわざお墓まで行く事はありませんでした。
    今は、その歴史の中の「人物」について追求していますので、その人物にまつわる所であれば、山城でも墓でも何でも行くと言うスタンスですが、幽霊は怖いので、できればお墓や戦場には行きたくありません。
    特にお墓は目的の人物の墓にたどり着くまでに、たくさんの墓標前を通過しますしね・・。

    • たけぼうき
    • 2015年 9月 15日

    1ヶ月近くのご無沙汰です。

    ここの長谷寺は春先、特にG・W・辺りでしだれ桜が綺麗なんですよね~。
    お屋敷や真田本城からはちょっと離れているので、小さい頃はそんなにいけませんでしたが、
    祖母の何回忌かで長谷寺を利用していました。

    幸隆・昌幸の墓石は奥まったところですから、この記事を読んで行こうと考えている人、夏場は虫除けは必需品ですよ。

    また、松代にある長国寺も真田の菩提所のはずですが行かれましたか?
    大きな廟が3棟建っていて、そこに飾られている彫刻は日光東照宮にある眠り猫等の左甚五郎と伝わっています。
    結構大きく、立派ですよ

    • 高田哲也
    • 2015年 9月 15日

    たけぼうきさん、コメントありがとうございます。
    貴重な補足説明助かります。
    松代は2回行ったことがあるのですが、まだ、じっくりと見ていないので、松代城以外はまわっていません。
    良い所ですので、機会があれば、お勧めの長国寺も是非おと訪れてみたいと思います。
    ご投稿、ありがとうございました。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1. 山手殿は宇多頼忠の娘という説が有力だが、武田信玄の家臣・遠山右馬助の娘とする説もあり、良くわかってい…
  2. 阿古姫(あこひめ)は、長宗我部元親の3娘です。 長宗我部氏の家臣で、上ノ加江城主である佐竹親直…
  3. 千姫(せんひめ)は、徳川秀忠とお江の長女として、1597年4月11日に伏見城内の徳川屋敷で産まれた。…

人気の戦国武将

  1. 淀城には「淀古城」と「淀城」の2つがありますが、その理由と歴史について調べてみました。 (さらに…
  2. 淀殿(茶々)が産んだ、子供である豊臣秀頼の父親は誰なのでしょう? 状況的には豊臣秀吉が父親であ…
  3.  天正壬午の乱(てんしょうじんごのらん)は、1582年6月、織田信長の死後、空白地帯となった甲斐・信…

オリジナル戦国グッズ

限定「頒布」開始しました。無くなり次第終了です。
戦国オリジナルバック

 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります
 オリジナル書籍
柳生一族
書籍・電子書籍にて販売開始

 オリジナル電子書籍

戦国武将研究会著作
ページ上部へ戻る