江戸城とは?【意外と見どころも多い江戸城の写真集】駐車場情報も


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徳川幕府(江戸幕府)の象徴とも言える江戸城
広大な西の丸には、現在「皇居」がある。

そもそも、江戸城は扇谷上杉氏の重臣・太田道灌が築いたとされる。
ただし、その当時の江戸城は麹町台地の東端にある平山城で、その規模は非常に小さかった。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めで関東を支配していた北条家が滅亡。
そして、徳川家康が関東に移封となり、段階的に江戸城が改修されると、総構えとなり、日本最大の城郭になった。

現在、江戸城の中心部である本丸・二ノ丸・三ノ丸跡は皇居東御苑として無料開放(開園日時注意)されている。
南東側の皇居外苑と、北側の北の丸公園は24時間常時開放されている。

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和田蔵門跡

現在の丸の内近くにあるのが、江戸城の和田蔵門跡です。

太田道灌の時代には、この辺りが日比谷入江と呼ばれる海であったとされます。
※各写真はクリックすると拡大します。

和田倉門のワタは「海」、クラは「蔵地」と言う意味で、1620年に和田倉門の枡形が設置されました。

その後、1629年に浅野長晟と加藤忠広が、和田倉門から桜田門までの石垣を築いています。
門内には会津藩・松平容保の上屋敷があったそうです。

北拮橋門

北拮橋門は、北の丸本面から本丸の天守閣(天守台)に入れる最短の門です。

上記写真の拮橋(刎橋、引橋)は、江戸時代には跳ね上げ式の橋で、敵が攻めてきた際には、遮断できました。
昔は、枡形門の形式でしたが、現在は復元された高麗門となっています。
ただし、その柱には、拮橋の金具が残されています。

また、北拮橋門の周辺は、堀からの高さもかなりあり、美しい石垣や水堀を望めます。

江戸城天守台

北拮橋門を入るとすぐに、大きな天守台が見えてきます。
天守台の石垣の高さは13.8mです。

本丸台地の一番高い標高25mの地点にあり、1606年に天守台が完成し、1607年に五層六階の天守閣が作られました。
恐らくは、太田道灌の時代の本丸にあたるものと推測できます。

天守台の入口脇には、「金明水(きんめいすい)」と言う、籠城用の井戸があります。

その後、何度も修築を重ねたあと、天守閣は南側には小天守台ができました。
天守台の台地は南北39.2m×東西35mと、かなりの広さです。

天守閣は石垣の上から最上層の上端まで44.8m(地上から58.6m)もあったと言いますので、想像すると非常に大きい事が分かります。
しかし、1657年、明暦の大火で天守閣は焼失してしまいました。

その後、天守閣再建のため、まずは、黒く焼け焦げた伊豆石を、全部御影石に交換したと言います。
今の天守台ですね。

天守閣の再建計画は、財政難と火事で焼けた江戸の街再建を優先しようと、将軍の後見役である会津藩主・保科正之の意見により延期となり、結果的に再建されませんでした。

現在、江戸城天守を再建する会が発足して、天守閣の再建を目指しています。

大奥

天守台からすぐの南側は「大奥」となるとても大きな屋敷がありました。
下記の写真は天守台から、その大奥があった場所を撮影したものです。

石室

江戸城には「石室」もあります。
しかし、石室の用途がわかっていません。
ただし、中奥と大奥との境にあたる、中奥側の上御納戸の脇付近にあるため、将軍の貴重な品などを、火災が発生した際などに避難させたのではないかと考えられています。

松之廊下跡

忠臣蔵でも有名な江戸城・松之大廊下があった場所です。
1701年、勅使饗応役の播州赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が、高家肝煎・吉良上野介義央に切りかかりました。

富士見櫓

富士見三重櫓は、本丸を造営した際に、1606年、加藤清正が石垣を築いて、富士見櫓も建築したと考えられています。
海抜21mと天守台につぐ高所で、太田道灌時代にも「ふし見やぐら」又は「含雪斎」(がんせっさい)と言う、富士山の雪を眺める櫓があったと言われています。
明暦の大火で焼失しましたが、1659年に三重櫓として再建され、江戸城の天守閣代わりとなり、今日まで現存しています。
幕末の1868年5月には、新政府軍の大村益次郎が、上野彰義隊との戦いで、この櫓から上野寛永寺が燃えているのを見て、勝利を確信したと言います。
なお、現在、富士見櫓の周辺は立入禁止になっており、櫓に入る事もできないので残念です。

中雀門跡

大手門側から入った場合、本丸御殿に到達する最後の門です。
御三家の殿さまも、この門前から駕籠を降りて、徒歩で入って行きました。

大番所

中ノ門を入ったところにある番所です。
それまでの勾配が急になって、本丸御殿に向かう道は急坂となります。
大番所では身分の高い武士が詰めて、出入りを厳しく監視しました。

中ノ門

下記写真は中の門です。
この門を入った右側に大番所があります。

百人番所

かなり大きな建物なのは百人番所です。
若年寄の配下で鉄砲百人組の甲賀組・根来組・伊賀組・二十五騎組の同心100人4組が当番を組んで、24時間交代で警護しました。
ちなみに百人組は将軍が寛永寺や増上寺に参拝する際にも、現地で警備するなど、幕府直轄の独立部隊でした。

二の丸

 江戸城の二の丸には1636年になり、最初の御殿が作られました。

 二の丸も何度か焼失しています。

 下記は築山を背後にした池がある「二の丸庭園」です。
 京都などの庭園に比べますと、見ごたえありませんが、外国人にとっては見どころの一つです。

諏訪の茶屋

 諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区にあったようですが、この建物は明治45年に再建されたもので、皇居東御苑を整備した際に、ここに二の丸に移築されました。

平川門

平川門は枡形門がほぼ完全な姿で残っていますので、お勧めです。
大奥に近いことから、大奥女中はこの平川門から出入りしたようで「お局門」とも呼ばています。
徳川家光の乳母・春日局は、平川門の門限に遅れたことがあり、門の手前で一晩明かしたと言う逸話もあります。

平川掘に延びる帯曲輪は、細長く伸びており、かなり防御を重視した地形を構成しています。

田安門

北の丸公園の北側(日本武道館の北側)にあるのが田安門です。
下記写真はその田安門の一の門「高麗門」となります。

下記が田安門の渡櫓門の写真です。
1636年に建造されました。

田安門の辺りは「田安口」または「飯田口」とも呼ばれ、上州方面への道が通じており、太田道灌の時代には合戦もあったと言います。
ちなみに、北の丸は、代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所(隠居所)となり、千姫や春日局の屋敷などもここにありました。

現存する僅かな建造物も内部は非公開で、どの建物にも入ることができないことでは物足りない江戸城ですが、その残されている規模は、やはり広大であり、枡方や石垣の素晴らしさや、様々な逸話など、意外と見応えがあり、大変奥深く、何度も訪れたくなります。
入園が無料と言う事もあり、近年では、二の丸庭園や天守台などにも、多くの外国人が観光で訪れています。
皆様も散策がてら訪れてみてはいかがでしょうか?

アクセス・行き方

地下鉄の場合には、霞が関駅辺りで降りて大手門を目指すと良いでしょう。
そして、本丸を見て、北の平川門へ抜けると、東京メトロ東西線の竹橋駅に出れます。
このコースで所要2時間程度です。
園内のベンチではお弁当やサンドイッチを持参して食べている方もいます。
とにかく広いので、和田倉門や桜田門、二重橋、半蔵門など全部見る場合の観光所要時間は半日見た方が無難です。

江戸城の見学概要(お休みの日などは)はこちら

駐車場

江戸城じたいには駐車場がありません。
また、大手門の方は、皆様ご承知の通り日本屈指のオフィス街ですので、1時間600円程度の駐車場があることはありますが、平日でも「満車」気味で止められません。
そのため、自動車で行く場合にオススメな駐車場は「北の丸公園」の駐車場です。
下記の地図ポイント地点となります。
4時間400円と格安です。(2015年現在)
日本武道館側からは入れないので、南側の道路から入ってください。右折ラインもあります。

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