武蔵の榎下城~宅間上杉家が支配していた横浜の古城


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榎下城(えのしたじょう)はいつ頃築城されたかは不明ですが、横浜の恩田川に突き出す丘陵の先端にある丘城です。

久保城とも呼ばれたようですが、現在の榎下城跡には旧城寺(旧漢字名は舊城寺)がありますので、行ってみました。

榎下城は横浜市緑区にありますが、旧国名ですと武蔵国になります。
もっとも、西暦700年頃の飛鳥時代に定められた国境ですので、横浜市は相模国と武蔵国に分かれます。
この辺りですと、緑区と旭区は武蔵ですが、瀬谷区は相模と言う事です。

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榎下城が歴史上に登場するのは、1438年に鎌倉公方・足利持氏と、関東管領・上杉憲実が争った「永享の乱」(えいきょうのらん)となります。
このとき、鎌倉から横浜付近を治めていた、上杉家の庶流である宅間上杉氏(たくまうえすぎし)に、上杉憲直(うえすぎ-のりなお)と言う武将がいました。
この上杉憲直は、鎌倉公方・足利持氏の側近だったと言う事です。

なお、関東を統治する役職として、室町幕府将軍の足利氏が就任する鎌倉公方があり、その鎌倉公方を補佐するのが上杉氏の関東管領職と言う事になります。
しかし、室町幕府は関東管領の山内上杉家に直接指示するようになり、鎌倉公方・足利持氏と関東管領・上杉憲実は関係が悪化します。
そして、命を狙われた上杉憲実は鎌倉から藤沢に向かったあと、1438年8月には上野・平井城まで逃れました。
そのため、足利持氏は追討軍を出し、一色直兼らと武蔵府中の高安寺に陣を構え、北上した訳です。

室町幕府は将軍・足利義教は関東管領・上杉憲実を救援したため、駿河の今川範忠が9月27日に箱根の足柄城を突破して相模に侵入します。
この報を受けて、鎌倉公方側の上杉憲直が大将となり、二階堂一党、宍戸備前守、海老名上野介らを率いて迎撃に向かいました。
そして、箱根・早川尻の戦いとなります。

早川尻の場所は、小田原の箱根板橋を流れる早川の河口付近です。

鎌倉公方側は、肥田勘解由左衛門、蒲田弥次郎、足立、荻窪ら一族・若党が討死し、上杉憲直は海老名城まで退き、鎌倉へ逃れようとしました。
しかし、その途中で、関東管領・上杉憲実の家宰・長尾忠政・長尾景仲の軍勢に補足され、足利持氏は室町幕府への恭順を誓って出家しました。

上杉憲直は一色直兼らとともに、最後まで足利持氏を守ろうとしたようですが、10月には、上杉憲実が武蔵・分倍河原の戦いで先鋒の一色軍を破ります。
そして、榎下城も室町幕府の軍勢に包囲されたようです。

攻められた上杉憲直は榎下城から退いて、金沢文庫の称名寺まで逃れますが、追われたため、子の上杉憲家と共に自害しました。

なお、宅間上杉家は衰退しましたが、存続はしており、のち北条早雲が相模を統一すると、北条家家臣に上杉憲方が、本領の永谷を安堵されており、玉縄城主・北条氏時・北条為昌の元にその名が見られます。
ただし、家格は高かったので、北条家臣と言えども「宅間殿」と別格扱いだったようです。

榎下城は、整備された小机城の支城として存続はしていた模様です。

上杉憲方の子・上杉房成と、孫の上杉富朝は下総・国府台の戦いにて討死しました。

北条氏直は、家督を継いだ宅間規富(上杉規富)の知行地不入を安堵している判物が、鶴岡八幡宮に伝来しています。

豊臣秀吉小田原攻めのあと、宅間規富は徳川家康に仕え、関ケ原の戦いにも参じました。
子孫は、代々、徳川旗本として存続しています。

なお、榎下城跡には、慶長8年頃(1603年)に佐藤小左衛門氏が隠居所とし、旧城寺(舊城寺)を開基しました。

現在の舊城寺の本堂の裏手が、一段高くなっており、そこが榎下城の本丸跡となりますが、今は墓地になっています。

榎下城への行き方・アクセスですが、舊城寺の参拝用駐車場が利用できます。
下記の地図ポイント地点です。

なお、周辺の道は「狭い」ですが、JR横浜戦の中山駅も近いことから、歩行者もいますので、車の走行には十分ご注意願います。

2018年までに神奈川県にある城跡をすべて訪問すると言う、かなりマイナーな個人目標に向けて、引き続き対応中です。
よければ、他の城跡もご覧頂けますと幸いです。

小机城の訪問記~横浜市で一番見応えある平山城
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訪問しておきたい神奈川県の城郭・寺院・古戦場など一覧リスト

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