深見城と山田家・四万坂の戦い【相模・深見城の訪問記】


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深見城(ふかみじょう)は、神奈川県大和市と横浜市瀬谷区の境を流れる「境川」沿いの丘陵先端に築かれた平山城で、標高71m、比高は境川の脇とで13m。

境川の対岸を走る県道401号も、今でも狭い道であることからも分かるように、かつては府中から町田を抜けて、鎌倉に通じる鎌倉街道の1つであった。
また矢倉沢往還が東西に鎌倉街道と交差する場所からも、そんなに離れていない事から、交通の要所の抑えであったとも受け取れるが、その役割としては古くからある観音寺の方が重要だったように思える。
そう考えると、深見城は単純に深見集落の領主の館としての機能だったように感じる。

まず、深見城のある場所だが、単純に地図を見て訪れただけでは絶対に間違えてしまう。
地図にある「城山史跡公園」の場所は、深見城があった場所と言う事では無い。
その城山史跡公園の東側を流れる境川沿いの高台部分が深見城跡と言う事になる。

下記の地図ポイント地点に、深見城の小さな説明版があった。

なお、南からだと道路が狭く、大きな車は通り抜けが困難。
国道246号から侵入すると良いが、これがまた駐車場は無かったので、止められる場所を探すのに難儀した。
しかし、この深見の集落は、昔からある集落のようで、歴史を感じるような場所でもある。

さて、深見城の築城年は新編相模国風土記稿の場合、1452年に山田経光(山田伊賀守経光)とある。

太田道灌と同じころにいたこの武将・山田経光は、相模糟屋館を本拠とする扇谷上杉家・上杉定正の家臣で、瀬谷と大和が領地であり、住居は境川の対岸となる、瀬谷・中屋敷であった。
しかし、有事の際の城としては深見城を整備したようだ。

ただし、発掘調査では戦国後期まで使われたということで、深見城の西側には「天笠坂」と呼ばれている古道・大山街道を今でも通過して境川沿いに出る事ができる。

空堀の底が道になっているような感じになっている。

なお、北条早雲(北條早雲)が相模を平定すると、山田家は北条家に臣従したようで、山田直義(山田伊賀守直義)と言う名が見られる。
山田直義の嫡男・山田直定(山田伊賀守直定)は埼玉の腰越城主として見られ、1562年に寄居・赤浜にて、上杉謙信の軍勢であった太田資正と戦って討死したため、弟・山田直安(山田伊賀守直安)が青鳥城主として見受けられる。

このように山田家は代々「伊賀守」を称していたようだ。

なお、小田原・北条家の役帳にも、深見城の名が出て来るので、早川城同様に北条家の支城としてある程度機能していたものと推測できる。

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四万坂の戦い

瀬谷では1417年、上杉禅秀の乱の際に、世谷原の戦い(せやはらのたたかい)と言う主戦場となったが、その場所はだいたい現在の瀬谷市民の森一帯が中丸山の古戦場となっていて、深見城からはだいぶ離れている。

それより前の話となるが、深見城の南側、現在の東名高速の南側にて「四万坂の戦い」もあった。

深見城主・山田経光(山田伊賀守経光)が、長尾景春に味方したため、四万坂古戦場では、扇谷上杉家の太田道灌と、深見城の軍勢がこの島津の地で戦った模様である。
合わせて4万の大軍での戦闘になったと言う事から、四万坂(しまんざか)と呼ばれるようになったとされている。

また戦国時代の1590年、豊臣秀吉小田原城を攻めた際には、山田直安(山田伊賀守直安)は、埼玉の武蔵・松山城に詰めて、上田憲定を補佐している。
しかし、前田利家上杉景勝真田昌幸直江兼続らの大軍に包囲されて降伏した。

この頃、深見城も関東に入った豊臣勢によって焼かれ、四万坂でも戦(小競り合い?)があったと言われているようだが、確認は取れない。

なお、徳川家康江戸城に入ると、山田直安(山田伊賀守直安)は徳川家の旗本として300石にて召し抱えられ、江戸市ヶ谷念仏坂に屋敷を構えたとされている。

四万坂の場所は、下記の地図ポイント地点となる。
ここも駐車場はないので、念のため記載しておく。

太田道灌~忠義を貫いた名将の終焉の地~太田道灌の首塚
上田朝直と武蔵・松山城の歴史~上杉/武田/北条/豊臣と何度も攻撃された松山城
訪問しておきたい神奈川県の城郭・寺院・古戦場など一覧リスト

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