後藤将監屋敷跡と高山四郎時貞館跡【八王子市】

このページでは東京都八王子市に伝承がある高山四郎時貞館と後藤将監屋敷をご紹介致します。

高山四郎時貞館(高山城)

高山城(高山四郎時貞館)は、高山時貞という武士の館があったと地元の伝承があります。
場所は現在「館町団地」と言う新興住宅街になっている八王子市館町にある高山と呼ばれる丘です。

新編武蔵国風土記稿によると、丘陵に食い違いの土塁があると記載されています。
一説には、鎌倉幕府第14代執権・北条高時の弟である、北条泰家(北条四郎左近将監泰家)の持城があったともされ、高山四郎時貞と同一人物ではないかとする説もあるようです。
しかし、高山時貞と言う武士がいつの時代の武将であったのかなど、全く不明であると言った方が、正しいように思えます。

丘の西側は「殿入」と言い、他にも「鍛冶谷戸」などの地名が残っています。

東京都の発掘調査では、館跡は特定できませんでしたが、館町第1地点遺跡からは生活用品が出土していますので、その辺りを撮影したのがページトップの写真です。
調査後は造成され住宅地にっていますので、遺構を示すものなどはありません。

下記の写真は、国道20号の八王子南バイパスが館町団地の真ん中を貫通するのですが、その場所の写真です。

高山四郎時貞館

高山四郎時貞館(高山城)の場所は不定ですが、ページトップの写真は、発掘調査の結果、一番怪しい下記のポイント地点にて撮影して参りました。

後藤将監屋敷跡

八王子市みなみ野にある後藤将監屋敷跡は、宇津貫町殿台の台上となります。

東京都の発掘調査によりますと、南八王子地区No.24殿台遺跡とされ、集落跡・城館跡、平安期の住居跡1、近世の建物跡1、井戸2が出土しましたる
武蔵国風土記稿と武蔵名勝図会では、医師である後藤将監が住んだ屋敷跡と言う伝承があり、東方に突き出た台地の先端部に位置したと言います。

後藤将監屋敷跡

この後藤将監は、小田原城主・北条家に仕えた医師で、1607年に没し、法名は才郷長勤居士と言います。
また、福昌寺の中興開基とされています。

後藤将監屋敷跡

後藤将監屋敷は、現在のみなみ野君田小学校のある付近にあったようですが、造成され改変されてしまっており、遺構などは残されておりません。

写真撮影した場所は、下記の地図ポイント地点となります。

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