八幡山城の登城記~八幡山城わずか10年の歴史も現代に残る風情豊かな城下町


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近江・八幡山の南半分山上に築城されたのが八幡山城で、標高は283m、比高100mとなります。別名は近江八幡城。
築城年は戦国時代の1585年と豊臣秀吉が築城を進めていた大阪城に入る頃です。

豊臣政権の跡継ぎと目されていた羽柴秀次(豊臣秀次)が43万石にて八幡山城主となりますが、築城工事は豊臣秀吉の主導のもと行われました。

1582年に本能寺の変織田信長が横死し、清洲会議を経てすぐ近くにある安土城には三法師(織田秀信)が城主となり、後見として織田信雄が入ります。

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しかし、1583年の賤ヶ岳の戦い以降、豊臣秀吉が新しい天下人となるべく威光を示すのには、織田信長の安土城があると何かと都合が悪かったのでしょう。
そのため、6歳になった三法師(織田秀信)を1584年に近江・坂本城へ移すと、安土城に代わる近江の新拠点として、1585年に八幡山城を築いたのです。

豊臣秀吉が自ら普請の指揮をとり、居館などは安土城からも多数移築し、城下町も安土城の城下をそっくり移転させ、町民も移住しました。
また、八幡楽市楽座を敷いて近隣の町村からも移住を促したので、近江商人発祥の地となった訳です。
※各写真はクリックすると拡大致します。

ただし、八幡山は険しい山城であったため、安土城のように山の斜面は活用できず、麓に建てた居館が政務の中心となっています。
そのため、麓には水堀なども巡らされていましたが、琵琶湖の湖水をひいたもので、直接「舟」で琵琶湖に出れるようになっていました。

豊臣秀次は18歳の若さで八幡山城主となっています。
そのため、補佐をしたのは水口城主・中村一氏、佐和山城主・堀尾吉晴、長浜城主・山内一豊と、そうそうたる武将です。
付家老としては八幡山43万石のうち、23万石もの高禄で田中吉政が赴任しました。

そして、現在でも豊かな城下町風情が残る、近江八幡の街並みが整備されたのです。

しかし、豊臣秀次は1590年に尾張・清洲城100万石として移封になったため、その後の八幡山城には京極高次が2万8千石で入っています。

1595年に秀次事件で豊臣秀次が切腹となると、豊臣秀吉は徹底的に豊臣秀次の痕跡を絶ったため、既に豊臣秀次が退いていたにも関わらず八幡山城は、聚楽第とともになんと破却(破壊)されました。
城主だった京極高次もビックリしたでしょうが、加増されて大津城主6万石となっています。
このように、八幡山城は築城から僅か10年で廃城となりました。

八幡山城の訪問記

地元の方は「八幡山城址」と呼んでいる八幡山城ですが、二の丸までは、麓から八幡山ロープウェーが伸びており、本丸へ登城するにしても時間短縮となり大変便利です。

と言うより、ロープウェイがなければ、登る気しない結構、急峻に見える山城です。

八幡山ロープウェーは15分間隔で運転されていますし、山頂付近は観光地化されており、多くが舗装路にもなっており、登山用の装備も不要です。

賤ヶ岳リフトなどは冬季閉鎖ですが、八幡山は年中無休運行ですので、ありがたいです。
小生が訪れた1月平日は、行きも帰りも、乗客は私1人だけでしたので、赤字にならないのか?心配でした。

ちなみに、麓にある日牟禮八幡宮(下記写真)の本殿右側からも、徒歩で登る登山道が整備されていますが、約50分掛かるとの事です。

山頂駅を降りて左手へ進んでいくと、さっそく立派な八幡山城の石垣が見えてきました。

山城部分は総石垣作りとなっています。
安土城の天守台石垣が、一部失われている事から、転用したことも考えられます。

こんな山の上に石を運んだわけですから、大変な労力を要したと思います。

八幡山城の「出丸」へやってきました。
結構、風が強くて寒かったです。

出丸からは琵琶湖の展望が素晴らしいです。

出丸から、西の丸方面に歩いて行きます。

山頂部分の二の丸と三の丸(西の丸)、北の丸などの曲輪に総石垣と礎石が残ります。

下記は、西ノ丸(三の丸)を過ぎた北の丸となります。
ここからも眼下の展望が良いです。

このように、八幡山城は、東西南北、すべての方向の展望が良い山城になっています。
下記は、観音寺城と安土城の山が見えています。

石垣は素晴らしいのですが、その上には観光施設があり「観光地化」されてしまっているのが、唯一残念なところです。

さて、二の丸方面に出て、いよいよ本丸へと登って行きます。

前述の通り、山頂の本丸部分には瑞龍寺が移築されています。

本丸への入口は虎口になっており、瑞龍寺の門が建立されていました。

なんか、最近は虎口を見るだけで、うれしくなってしまいます。

山城部分には、倭城城郭の特徴と類似点があるため、朝鮮に出兵した京極高次による改修があったものと推測されています。

虎口を上から見ますと、下記のような感じです。

八幡山城の本丸に到着致しました。
現在の本丸跡には、豊臣秀次菩提寺である村雲御所・瑞龍寺が京都から移転されています。
もともと、瑞龍寺は豊臣秀次の母が京都に建てたお寺さんでした。

本丸に瑞龍寺の本堂がある訳ですが、建物で本丸の広さが良くわかりません。
建物の脇を見ましたら、結構、奥行がありましたので、それなりの広さだったようですが・・。

上記の稲荷堂がある場所から、虎口へ横矢を掛けられるようになっており、本丸への防御性はかなり高いです。
もっとも、本丸手前まで攻め込まれたら、現実的には負けでして、降伏してしまうことの方が圧倒的に多いのですが・・。

上記は二の丸で、展望台を兼ねたお土産物店やトイレがあります。
下記は近江八幡の街並みです。

近江八幡城下町

八幡山城へ一直線に伸びる大手道は約270mと、安土城の2倍の長さに匹敵したと言います。
城下町には楽市楽座が敷かれ、近江商人が発祥したのです。

2001年には八幡山の南西山麓にて、豊臣秀次の館跡が発見され、館跡から礎石、金箔瓦が約200枚、釘などが出土しました。
現在、八幡公園となっているようですが、行くのは失念してしまいましたので、すみません、写真はありません。
ただ、結構、藪や竹林で、少しの石垣が残されている程度なようです。

八幡堀は琵琶湖から引いた八幡町の外に巡らしたもので、八幡山城の麓を八幡堀と塁で囲んで、その内部に羽柴秀次の屋敷や武家屋敷が置かれたようです。

八幡掘は当然、防御目的でしたが、城下町としては運河の役割も果たしており、商業の発展にも貢献しました。

ちなみに、2015年後期のNHK連続ドラマ「あさが来た」のロケ地にもなっており、あさの姉・はつが舟に乗って嫁ぐシーンも、ここの八幡掘にて撮影されました。
長さ6kmにもなる八万掘は、八幡山城が廃城となったあとも、大正時代まで商工業の動脈だったのです。

上記は排水溝のようで、戦国時代から、このように排水まで考えた街並みが計画されていたようです。

上記は白雲館と言う明治10年に建設された学校だそうです。

上記はメンタームで有名な近江兄弟社の本社ですが、近江兄弟社のヴォーリズと一柳満喜子は「あさが来た」の加野屋にも縁があります。
なんでか?は、下記の記事をご覧頂けますと幸いです。
一柳満喜子とヴォーリズ【メンターム近江兄弟社】

上記、城下町の街並みが残っている所は「新町通り」となります。

日牟禮八幡宮の前に車を止めて、八幡掘と新町通りへと歩いて散策可能です。
私の場合、八幡山城の山頂と、簡単な散策で、合計の見学所要時間は70分でした。

麓に残る「八幡堀」は訪れる観光客も多く、舟に乗って堀を巡る「水郷めぐり」も楽しむ事ができます。
城というよりも城下町も見どころなのが八幡山城と言えるでしょう。

下記地図のポイント地点は、八幡山ロープウェイ利用者向けの無料駐車場です。
その他、日牟禮八幡宮前の道路脇も無料駐車スペースとなっています。

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