八王子城の探訪記と写真集~第2章~登城記録を攻撃した前田勢の立場にて


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→ 八王子城 探訪記と写真集 第1章からの続きです

 八王子城では、城代・横地吉信、狩野一庵、中山家範近藤綱秀ら、わずか500将兵が守備し、周辺の領民は農民の子供・女まで2500を加えて総勢3000が八王子城に籠っていた。
 もっとも、八王子城の築城開始以降、普請を続けていたので、完成していないと言えば完成はしていないが、主だった防御陣形は出来上がっていた。

 八王子城包囲網に戻った前田利家は、横川村の本陣にて攻撃のチャンスを伺っていたのだが、6月22日夜半になると周辺が霧に覆われた。
 夜の闇の中、しかも霧が掛かっていればなおさせ視界が悪く、八王子城からの鉄砲射撃を受けても当たる確率は低い。
 その為、日が変わる頃から軍を進めて、6月23日朝2時頃から前田利家が攻撃を開始した。

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 前田利家が攻撃を担当したのは、八王子城の正面。まずは、八王子城の家臣の屋敷が集中する、根小屋付近で八王子城勢の抵抗を受けた。(下記写真が現在の根小屋から八王子城方面)

 しかし、敵の兵力は僅かで打ち破り、近藤綱秀が守備する、八王子城の入口に到達。(下記写真の付近。奥に八王子城の深沢山が見える。)
 ※各写真はクリックすると拡大します。

 そして「近藤曲輪」で、両軍鉄砲の打ち合いとなった。(下記写真は近藤曲輪付近から、攻めてくる前田勢を見るような光景)

 この時、八王子城側は、霧もあり攻め手の豊臣勢がどのあたりにいるのか良くわからなかったが、 石弓(高所から石を落とす)の戦法で、豊臣勢先陣の大道寺政繁隊・数百人を撃退。
 しかし大道寺政繁は「近藤曲輪」を猛攻して近藤綱秀を討ち取る。
 そして、急峻な八王子城を登りはじめた。

 小さな曲輪がいくつも現れては攻めに攻め、現れた「金子曲輪」を攻撃。金子家重らを討ち取っり、首級は250を数えたが、この攻撃には、同じく降伏していた松山衆も加わっていた。

 金子曲輪まで攻めた頃には、夜が明けて来たとさせる。
 (八王子城の小宮曲輪の下からは、下記のように関東平野を一望でき、晴れていれば筑波山・西武ドーム・東京スカイツリー・八王子市内・相模原市橋本の高層ビル群などの展望が望める。)

 真田昌幸らは、手勢を忍城などにも派遣していた事から、今回は後方支援に回ったのか?動向は不明だ。

 一方、上杉景勝は月夜峰の本陣(元八王子1丁目 共立女子付近) から、暗い中、出羽山砦へと尾根伝いに進み、御霊谷門を打ち破って上ノ山に上がり、更に尾根伝いに太鼓曲輪へと進撃。

 この太鼓曲輪は平山綱景が守備していたが、見張りが大きな役割であったため少数で、上杉景勝の大軍勢には歯が立たなかった。
 なお、北条家に恨みを持っていた上杉景勝の武将・藤田信吉が、八王子城の普請にも当たっていた平井無辺を調略し藤田信吉・直江兼続は、八王子城の弱点である八王子城の山を北側から奇襲する作戦行動を取っていた。

 前田利家勢は更に柵門を難なく突破。

 高丸の防衛も打ち破ると、更に深沢山を登った。

 しかし、八王子城は要害の山城であった為、山頂付近の「小宮曲輪」「中の曲輪」「松木曲輪」まで攻め寄せたがこの3つは連携されており、中山家範、狩野一庵の抵抗も激しく苦戦。

 そこに、平井無辺の案内で背後から襲った上杉勢・藤田信吉らが小宮曲輪を襲うと、山頂部分の防衛陣は、総崩れとなった。

 上杉家の猛将・甘糟清長が、陣所を焼くと言う乱戦の中、中山家範と狩野一庵は奮戦するも曲輪の中で自害。(下記写真は、本丸下から見下ろした、中の曲輪の上に建つ八王子神社)

 下記は松木曲輪側から見た、中の曲輪の上の八王子権現で、八人の王子を祀ったのは西暦916年と歴史がある。八王子城の守護神であり、八王子の地名の由来でもあるのだ。

 山頂曲輪の大石照基は、城代・横地景信を逃がす時間を作る為、討って出て討死。
 下記は山頂にある本丸の社。津久井城滝山城鉢形城の本丸部分より狭く、指揮発令所としての役割程度しか持たなかったと考えられる。

 八王子城代として「山頂曲輪」を守っていた横地監物は山伝いにかろうじて逃亡。豊臣勢は残された八王子城の守備兵をことごとく討ち果たし、完全に攻略したのだ。

 関東随一の規模を誇る山城である八王子城であったが、その規模は20000の将兵で守る事が前提であった為、農民も含めた僅か3000で、北国軍15000に抵抗するのは最初から無理な話であった。

 榊原康政の記録によると、八王子城の戦いは、早朝に終わったとされる。
 前田利家は「名城ゆえに犠牲が多く出た」と記し、榊原康政は「鳥や獣が飛び回り(急峻な為)立つのも困難な城」と述べている。

 上杉景勝の家臣・須田満統を八王子城・城代として残し、前田利家・上杉景勝らは小田原城の包囲に加わった。

 → 八王子城 探訪記と写真集 第3章 八王子城の魅力 に続く

 

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