彦根城~国宝・彦根城を訪れるのならココを見よう・魅力とその防御陣形


スポンサーリンク
スポンサーリンク

滋賀県彦根市にある彦根城(ひこねじょう)は、連郭式平山城(標高136m、比高46m)で1606年に完成した現存天守として、天守などが国宝に指定されています。

そもそも彦根には、石田三成の居城であった佐和山城があったのですが、1600年の関ヶ原の戦いのあと彦根には徳川四天王の一人・井伊直政が18万石で入りました。

井伊直政は、賊将・石田三成の佐和山城を嫌ったとも、領民から大変慕われていた石田三成の遺構を破却し新しい政治を行おうと、琵琶湖に近い磯山に彦根城の築城を計画します。

 スポンサーリンク


しかし、関ヶ原で受けた鉄砲傷が元で、破傷風となった井伊直政は1602年2月1日に死去します。
この時、石田三成の怨霊が井伊直政を死に至らしたと言う噂も広まったため、家老・木俣守勝徳川家康に相談すると命も受けて、あとを継いだ井伊直勝(井伊直継)は1603年から彦根城の築城を開始し、1606年に天守が完成すると居城を彦根城移しました。

ちなみに彦根城の建造には、佐和山城だけでなく、小谷城長浜城、大津城などの石垣や建造物も移築・再利用されたと言います。
工事は徳川幕府が主導し、近隣の大名も人足など負担した為、1614年の大阪の陣からは工事が中断しました。

その後、井伊家のみで工事を再開させ、彦根城の全体の工事は1622年に完成を迎えました。

上記は、二の丸佐和口多聞櫓です。

現在佐和口多聞櫓は再建されたものですが、もとは、佐和山城から移築されたとされています。

上記は筆頭家老・木俣守勝の屋敷で、佐和口を入ったところにあります。

彦根城の本丸したの内堀です。
そうそう、各写真はクリックすると拡大でき、またスライドも可能です。

表門が実質の正門で、表門橋を渡ると有料拝観の受付があります。
脇には表御殿(彦根城博物館)がありますが、外観のみの復元で内部は資料館になっています。
彦根城と玄宮園の通常券は大人600円、彦根城と玄宮園+資料館のセット券は1000円です。

緩やかな表門参道を登っていくと、やがて「堀切」に出ます。

侵入した敵を、堀の上にある太鼓丸と鐘の丸の両側から攻撃できる設計になっています。
この防御陣形には魅せられます。

良く時代劇ドラマでも登場する天秤櫓と掛橋ですね。
この天秤櫓は、長浜城から移築したとされています。

ここまで進入した敵は、ループ状に登って鐘の丸に入る事になります。

そして、掛橋を渡る事になりますが、橋を壊せば、更に防御面を強化できる「落とし橋」の構造になっています。
ループ状の珍しい防御方式は、日本の城で彦根城だけです。

掛橋から堀切を撮影すると上記のような感じです。

天秤櫓を抜けると階段の先に太鼓門櫓が見えてきますが、天秤櫓の内部が公開されていましたので、入ってみました。

やはり天秤櫓の内部は古い感じが致します。

先ほど通過した掛橋を窓からのぞきますと、上記のような感じです。
鉄砲などで攻撃するのにはベストポジションですね。

更に天秤櫓の屋根裏に上がれる階段もありました。

さて、表に戻りまして進むと、本丸の石垣が見えてきました。

いよいよ、彦根城の本丸に接近してきたと言う感じです。

その途中には、時を知らせた「時報鐘」があります。

そして、最後の門となる「太鼓門」です。

太鼓門はどこかの城の城門を規模を小さくして移築したことがわかっていますが、どの城からかはまだ解明されていません。

太鼓門の裏は壁がない廊下になっている構造で、恐らくは長槍で進入した敵を頭上から突けるようにしたのでしょうが、あれ?
ひこにゃんが手を振っていました~。(^-^)

時間が決まっていますが、彦根城域では1日3回ほど、毎日「ひこにゃん」が出迎えてくれるとの事です。

天守と附櫓・多聞櫓(たもんやぐら)の2棟が国宝に指定されています。

明治維新には多くの城が破却されましたが、明治天皇の北陸巡幸に同行した大隈重信が、彦根城の消失を惜しみ、天皇陛下に保存を願い出て解体が中止されたと言われています。

なお、彦根城の天守は、京極高次が築城した大津城の天守が移築されたと考えられています。

本丸には水場?もありました。

彦根城の本丸から佐和山城があった山を望む展望もあります。

黒門がある方向にもカメラを向けてみました。

彦根城の天守内部に入って見ます。

彦根城の鉄砲狭間・矢狭間は、天守に全部で75あるそうですが、外からだと、どこにあるのかわからないように、しっくい壁が塗り込められていると言う特殊な構造となっています。

さすが現存天守で国宝ですので、非常に雰囲気の良い天守内部です。

武者隠しもあちこちに設置されています。

上記は武者溜りですね。
階段は結構急ですので、女性の方はズボンが適切だと存じます。

天守最上階から撮影した琵琶湖方面です。

さて、本丸を後にして、西ノ丸へと向かいます。

振り返れば、先ほどの彦根城・天守が間近に見えます。

西ノ丸は桜の木でしょうか?
所狭しとと植えられていて、全く天守が写真に入りません。

お詫びにもう1枚、彦根城の天守写真を載せておきます。

上記はその西ノ丸への入口を外側から撮影したものです。
重要な北の守り口ですね。

西ノ丸と北にある山崎曲輪の間にも大きな堀切がありました。

そこにも「橋」が掛かっています。

そして、西の丸三重櫓がそびえ立っています。

上記は山崎曲輪ですが、ここは地形も改変されてしまっているとの事です。

山崎郭側の登り口は上記のような感じでした。

彦根城の中堀にある「黒門跡」の黒門橋を渡ると、玄宮園方面に出る事ができます。
玄宮園に関しては、別のページにて続けてご紹介させて頂きます。

上記は彦根城の大手門橋です。

上記は彦根城の外堀跡。

上記は彦根城の船町口の石垣を内側から撮影したものです。

以上、彦根城ですが、彦根駅からは彦根城の表門までだと、約1000m、徒歩15分といったところです。
彦根城の観光所要時間は駅からの往復と玄宮園見学を含めて、約2時間といったところですが、時間にはゆとりを持った方が良いです。
入場可能時間は朝8:30からで、17:00に閉門です。

下記の地図ポイント地点は、彦根城への登城口となる表門橋ですので、駅や駐車場からはココを目指してください。

駐車場は彦根城の周辺にいくつかあり、混雑すると付近に臨時駐車場が設けられ、土日祝でも止められない事はあまりないとの事です。
しかし、道路は渋滞する事があるそうですので、時間にはゆとりを持って行動されると良いかと存じます。

木俣守勝~井伊家を筆頭家老として支えた名将
玄宮園と楽々園【彦根城の現存する豪華な大名庭園】
彦根・宋安寺~彦根城下にある戦国時代ゆかりの名刹
井伊直弼が不遇の時代を送った「埋木舎」
大老・井伊直弼~開国を唱えるも桜田門の変にて横死する
国宝天守・姫路城はこちら
国宝天守・犬山城はこちら
国宝天守・松本城はこちら
佐和山城の訪問記と佐和山城の戦い【佐和山城の登山道写真】
近江・長浜城の歴史と探訪記~琵琶湖の湖畔に残る太閤井戸
連載:戦国未来の古文書お気軽読み 第9回 『藩翰譜』「井伊直孝」
姫路・大阪・高野山3日間の旅【真田幸村のゆかりの地】総合計画編
琵琶湖東岸の湖北・湖東にある戦国時代史跡スポットを巡る1泊2日の旅

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1. 豪姫(ごうひめ)は、織田信長の家臣・前田利家の4娘として尾張・荒子城(愛知県名古屋市)にて1574年…
  2. 立花誾千代とは 立花誾千代(たちばな-ぎんちよ)は戸次鑑連(立花道雪)の一人娘として筑後(久留…
  3. 1568年に誕生した愛姫(めごひめ)の父は、三春城主・田村清顕で、母は相馬顕胤(小高城主)の娘・於北…

人気の戦国武将

  1.  石田三成の波乱に満ちた生涯について公開されているホームページは多い。ただし、年表式に石田三成を解釈…
  2. 【治国平天下 ~柳生新陰流 天下統御の剣・柳生石舟斎と柳生宗矩】 柳生石舟斎・柳生宗矩と柳生一…
  3. 実際の山本勘助  武田家は滅んだ大名のため、武田家に関する資料は多く残されていない。  武田…

オリジナル戦国グッズ

限定「頒布」開始しました。無くなり次第終了です。
戦国オリジナルバック

 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります
 オリジナル書籍
柳生一族
2016年10月、書籍・電子書籍にて販売開始

 オリジナル電子書籍

2016年8月、戦国武将研究会著作
ページ上部へ戻る