井平城と仏坂の戦い~武田勢の井伊谷侵攻と井伊一族の井伊直成


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井平城(いだいらじょう)は、別名を小屋山城・伊平小屋・伊平城とも言う山城です。

井伊谷城の北方、クルマで5分ほどと、そんなに離れていない井平地区にあります。

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井伊家7代・井伊弥直(みつなお)の時代に、分家した井平直時(井平四郎左衛門直時)が井平氏の祖となって屋敷を構えたようです。
下記が井平氏居館跡となりますが、現在は普通に民家が建っていますので、遺構はないですし、立入は禁止です。

蜂前神社の古文書では、井伊谷城主である井伊直平の嫡男・井伊直宗(井伊宮内少輔直宗)が、伊平村御在城との記録もあり、若い時分に井伊直宗が井平城を任されていたようです。

標識に従って坂を上って行くと、井平城への入口があります。
下記写真の細い道を入って行きます。
なお、各写真はパソコンでクリックすると拡大致します。

ただし、駐車場はこの細い道を入らずに、少し登った先にありました。
なお、上記の細い道を登って行っても、本丸(民家)下に3台ほど止められる駐車があります。
しかし、下から歩いて登って行った方が、旧鳳来寺街道を歩けますし、遺構も良くわかりますので、案内にしたがって、先の駐車場に止めることをオススメ致します。
駐車場は下記の地図ポイント地点となります。

恐らくは、2017年の大河ドラマ「おんな城主・直虎」の放送に合わせて、地元の方が駐車場もご用意なさった模様と推測致しますので、ありがたく利用させて頂きました。

クルマを駐車場(空き地)に止めて、ちょっと戻って先ほどの写真のところから入りますと、すぐ左に「旧鳳来寺街道」との案内があります。
せっかくなので、その旧鳳来寺街道から井平城を目指します。

旧鳳来寺街道は、道幅もそんなに広くはありません。
ただし、旧鳳来寺街道が城内を通過する設計になっており、街道の抑えとして井平城を機能させたのでしょう。

下記は井平城の大手門跡ですが、標識がなかったら、まったくわかりません。
直虎放送でこのようにきちんと整備されたのは、嬉しい限りですね。

急な坂もそんなに無いので、山城と言うような雰囲気ではありません。
井平城の土塁は、結構、良く残されていました。

戦国時代には「井伊小屋城」と呼ばれていたそうですが、土塁は長さも、結構あって気に入りました。

昔に訪問された方によっては、ここが井平城だとわからず、他の場所を撮影したりしたサイトさんもあるようですので、情報にはご注意願えますと幸いです。
もっとも、私も、この機会に訪れなければ、同様にわからなかったと思います。

本丸と推定されている場所は、現在、民家が建っていますが、かつては「殿村館」と呼ばれたともされます。
民家の敷地に立ち入るのは、私のポリシーに反しますので、ここで引き返させて頂きました。

見学所要時間は20分~30分といったところです。
まぁ、下記のような感じだったと推定されています。

ただ、上記の予想図でわかるように、南側からの防御には向いていますが、敵が旧鳳来寺街道を北から侵入して来る場合には、防御しきれない地形です。

そのため、武田信玄の西上作戦のときに、3000を率いた別働隊の山県昌景(山県三郎衛昌景)が、北から攻めて来た際には、井平城で撃退するのではなく、先の「仏坂」にて合戦となっています。

仏坂の戦い

1572年、武田信玄が浜松を攻めた際には、徳川家康との三方ヶ原の戦いとなったので、そちらが注目されてしまい、山県昌景の別働隊はあまり知られていません。
しかし、井伊谷城の井伊家にとっては、

この頃は、家老で井伊家を裏切った小野政次を、徳川家の協力によって既に誅殺していましたが、井伊直虎もまだ、井伊直政を徳川家康に出仕させる前です。
井伊直政も、母・奥山親朝の娘(奥山朝利の娘とも?)が再嫁した松下清景(松下源太郎)のもとで養子になっていた頃でして、井伊谷城には井伊家ではなく、井伊家の重臣・近藤康用が入っていました。

そんな井伊家が一時滅亡しているような時期に、山県昌景が長篠城から攻めて来たわけです。

山県昌景は、まず、井伊家重臣・鈴木重好の居城である柿本城を攻撃してきました。
この時、井伊谷三人衆と呼ばれる鈴木重時の子・鈴木重好は、まだ14歳の若さで、柿本城の戦いでは、叔父・鈴木重俊(鈴木権蔵重俊)が補佐していました。
そして、援軍として宇利城主・近藤秀用井伊直成(井伊飛騨守直成)も柿本城に入っていたようです。
この井伊直成は井伊家の分家で井平城主だったと考えられます。

なお、柿本城は普請中で本丸には塀がありましたが、二の丸などはまだ仮の柵しかなかったと言います。
そのため、満光寺住職・朝堂玄賀和尚が山県昌景と交渉して、うまく柿本城から撤退した井伊勢(正確には徳川勢)は、井平城に入ったようです。
しかし、井平城では防備に不安があったようで、約800m離れた竹馬寺近くの旧鳳来寺街道にて、武田勢を迎え撃ちました。
それが、仏坂の戦いで、10月22日とされます。
三方ヶ原の戦いは12月22日とされますので、それより2ヶ月前の話ですが、10月13日には一言坂の戦いで徳川勢の本多忠勝らと武田勢の馬場信春らが一戦を交えています。

仏坂(ほとけざか)では、近藤康用、菅沼忠久、鈴木重好ら井伊家の主力が山県昌景らと戦いました。

井伊勢は浜松城の徳川家康に合流しようと考えていたところを、山県昌景が追撃・夜襲してきたとも言われていますが、真偽のほどは不明です。
なお、井伊直虎(次郎法師)が、山県昌景に直接掛け合って、竹馬寺にある十一面観音菩薩像を気賀に一時避難させる交渉をしたと地元では伝わっているそうです。

この戦いにも浜松城の徳川家康は援軍を出せなかった模様で、井平領主・井伊直成(井伊飛騨守直成、井伊入道)は鉄砲が当たって討死。
龍潭寺の過去帳にも井平花平領主・井伊入道が10月22日に死去したとあります。
井伊直成の母も、敗戦を知って自害したようで、同じ日が命日になっています。
井伊直成の弟とみられる武将は前日が命日ですので、柿本城で討死したのでしょうか?

なお、鈴木重好を補佐していた鈴木重俊(鈴木権蔵重俊)は、頬当(ほほあて)の下菱縫(ひしぬい)に鉄砲を受けて、同じく討死にしています。享年22と伝わります。

このように、井伊勢で倒れた武将数は88名(武田と双方で88名とも?)と伝わり、残兵は山中に3日間隠れたのち、井伊谷城も放棄して、浜松城の徳川家康に合流したとされています。

仏坂ふろんぼ様と呼ばれる下記の石墓の真ん中は、井伊直成の墓とされています。

また、2005年2月に旧鳳来寺街道の調査を行っていたところ、4基の石積み墳墓が新たに発見され、新ふろんぼ様として供養されています。
こんな山道で戦ったと言う事でしょう。

井伊谷城に入った山県勢は、足切観音堂や龍潭寺を焼いて廃墟と化しました。
恐らくは、井伊直虎(次郎法師)も、どこかを頼って逃れたものと推測されます。

その後、山県昌景は二俣城攻めの武田信玄本隊と合流しています。

さて、仏坂古戦場の井伊直成の墓がある場所は下記の地図ポイント地点となります。

地図は縮尺を変更してご確認願います。
当方のオリジナルGoogleマップでも、印してありますので、スマホでカーナビなどとしてご活用頂けますと幸いです。

山道をクルマで南から入って行きますと、最初、大き目の駐車スペースがありますが、そのまま道なりに進んで行ってください。
要所要所の近くには、1台くらい止められるスペースがありますので、土日祝などで混雑していなければ、短時間止めるのは問題ないでしょう。
ただし、旧鳳来寺街道を奥の方まで行って見る場合などはに、消防自動車などの緊急車両の通行の妨げにならないスペースに止めて頂けますよう、お願い申し上げます。

仏坂ふろんぼ様より、もっと上に登って行きますと、仏坂古戦場跡に出ます。

本当にこんなところで合戦があったのか?と思うくらい、とても狭いと言う印象を受けました。
ここは、かつて命を狙われた井伊直親今村藤七郎と隠れた場所でもあります。

この付近から、舗装されている道路より、柿本城方面へ続く山道があって、それが旧鳳来寺街道となります。

実際の旧鳳来寺街道は、ここから竹馬寺を経て、山の中を伊平城へと延びていた訳ですね。
下記は、国道257号の仏坂入口にある案内板ですので、ご参考になさって頂けますと幸いです。

なお、仏坂の戦いで敗れ井伊谷は武田勢の支配下に置かれた模様です。
寺野の伊藤忠右衛門に対して、山県昌景が発行した朱印状が残されています。
ちなみに、近藤秀用と鈴木重好はのち、武田勝頼との決戦「長篠の戦い」に徳川勢として参じています。

山県昌景~武田家を支えた重臣・飯富三郎兵衛
近藤康用・菅沼忠久・鈴木重時【井伊谷三人衆】井伊家を支援した武将
近藤秀用【井伊谷五近藤家の祖】についてはこちら
井伊谷3人衆の墓がある龍潭寺の紹介はこちら
三方ヶ原の戦いと一言坂の戦い~史跡の写真や地図・駐車場情報も
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