連載:戦国未来の古文書お気軽読み 第14回 『井伊家伝記』「第4段 橘之御紋并井字旗幕之御紋之事」


スポンサーリンク
スポンサーリンク

古文書に魅了されて早うん年の戦国未来(せんごくミク)と申します。

今回ご紹介するのは、『井伊家傳記』より「第4段 橘の御紋、並びに、井字旗幕の御紋の事」です。

『井伊家傳記』は、龍譚寺九世住職・祖山法忍が、記録や口伝を基に、正徳5年(1715年)に書き上げた井伊家の由緒書(全66段)で、龍潭寺に保管されています。写本は数多く存在しますが、中でも二宮神社の神主の中井直恕(『礎石伝』の著者)による元文5年(1740年)の写本「乾坤本」(彦根市立図書館蔵)には独自の注が付けられていて、注目に値する写本となっています。

 スポンサーリンク


内容はと言うと、たとえば、井伊直平引馬城主であったとするなど、史実とは思われないことも書かれていますが、遠江井伊氏研究のバイブル(基本史料)であることには間違いありません。

では、早速、「第4段 橘の御紋、並びに、井字旗幕の御紋の事」について読んでみましょう。

【未来のお気軽訳】 橘の御紋、並びに、井の字旗幕の御紋の事

一 井伊備中守共保公御誕生の「(井伊谷八幡宮の)御手洗の井」の傍らに橘の木があった。共保公は、この橘の花の紋を産衣にお付けになられて、初めて御着用なされた事により、ご家紋が橘の花となった。これもまた、「井中出誕」(井戸の中よりご誕生)とあわせて、お家の奇瑞である。さてまた、幕紋は、「井中出誕」の故事により、「井」の字となったの である。
井伊直政公は、天文12年(1584)、徳川家康公が、尾張国長久手(現在の愛知県長久手市)へ、遠江国浜松(現在の静岡県浜松市)から出陣された時、 徳川家康公は、井伊直政公へ、駿河国(駿州)・遠江国(遠州)両国と甲斐国(甲州)の武士の中からじっくりと井伊家家臣としてふさわしい人をお選びになられて井伊直政公へ付けられ、井伊直政公に先陣を初めて仰せ付けられた。この時、(徳川家康公に紋について聞かれたが、)井伊家の古老は(井伊直政が生まれる前の「桶狭間の戦い」、駿府や掛川での誅殺など)あちこちで戦死していたので(直政は戦いで、井伊家がどのような紋を使っていたか見たことが無く)、龍潭寺の南渓和尚から「古老がいないので分からないであろうから教えておく。徳川家康公に先祖累代の旗について聞かれた時には、『井』の字をご紋、吹流しには『正八幡大菩薩』の文字と答えるように」と言われていたので、そう答えると、徳川家康公は、「左様にせよ」と仰せられて、(一番槍としての)出陣の旨を申し伝えたという。

です。

 

<写真1:井伊共保公出生井と橘>

<写真2:井伊共保公出生井の橘>

 

「橘(たちばな)」は、田道間守(たじまもり/たぢまもり)が日本に伝えた植物で、「たちばな」は「たぢまはな(田道間花)」の転訛と言われるように、花の香りを楽しむ植物であり、酸味が強くて食用には適しません。(食べたい場合は、3月くらいに収穫して、マーマレードにして食べます。)

紫宸殿の前庭の「左近の桜・右近の橘」としても有名な橘ですが、植物名は分かっていません。「万葉の森公園」(静岡県浜松市浜北区平口)に、「橘と思われる植物」が数種類植えられています。

 

<写真3:井伊神社(彦根市)前の橘>

<写真4:ニッポンタチバナ>

 

井伊神社(彦根市)の前には、橘である可能性が最も高いとされる「ニッポンタチバナ」(彦根市の市の木)が植えられていました。

「井伊共保公出生井」の傍らにあった橘は枯死しました。現在植えられているのは、彦根市から運んできた橘です。

ちなみに、浜松市の市の花は「ミカンの花」です。ちなみに、私は、「ミカンの花」と「橘の花」の区別ができません。(植物について無知なので。)

 

日本に橘を伝えた田道間守の後裔が、井伊氏の前に井伊谷を支配していた三宅氏(家紋は橘)です。井伊氏は藤原氏です。藤原氏と橘の関係はというと・・・元明天皇は、宴会の席で県犬養三千代を呼び、盃の中に橘の実を浮かべて賜わり、「橘は果子の長上、人の好む所なり。柯(枝)は霜雪を凌ぎて繁茂し、葉は寒暑を経て彫(しぼ)まず。珠玉と共に光を競ひ、金銀に交じって美し。是に以て汝に橘宿禰の姓を賜ふ」 と勅されました。それで、橘三千代と称して、藤原鎌足の子・不比等に嫁し、藤原氏の繁栄の基礎を築きました。井伊氏にとっても、藤原氏にとっても始まりは橘です。井伊氏にとって、藤原共資は藤原鎌足、藤原(井伊)共保は藤原不比等、三宅氏の娘は橘三千代なのでしょう。

「賜浮杯之橘。勅曰。橘者果子之長上、人之所好。柯凌霜雪而繁茂、葉經寒暑而不彫。与珠玉共競光、交金銀以逾美。是以汝姓者賜橘宿祢也。」(『続日本紀』(巻12)天平8年(736年)11月11日の条)

どうでしたか?

感想をコメント欄に書いていただければ幸いです。

では、最後に原文を載せておきますね。今回の記事を参考に、解読に挑戦してみてね。

橘之御紋并井字旗幕之御紋之事

一 井伊備中守共保公御誕生之節、御手洗井之傍に橘之木、有之。右之橘を産衣ニ御付、初て御着用被成候ゟ、御家定紋、橘なり。是又、井中出誕之御家瑞也。扨又、幕之御紋、井中ゟ出誕之因縁にて、井字御付被成候事也。井伊侍従直政公、天文拾二年甲申、権現様尾州長久手江遠州濱松ゟ御出陣之節、直政公江駿遠両国并甲州之武士を御吟味之上御付、先手初て被為仰付候節、御家門之古老者、諸方ニて戦死、龍潭寺南渓和尚より「古老、無之故、御先祖累代之御旗、御尋被遊候所ニ、井字御紋、吹流ハ正八幡大菩薩之文字被遊候」様ニ申上、「左之通」ニ被仰付、御出陣之旨、申傳候也。

(つづく)

共通カウント (寄稿)戦国未来

連載:戦国未来の古文書お気軽読み 第1回 『以貴小伝』 築山殿(長男・松平信康の母)
「第3段 井伊備中守共保公生湯御掛被成候自浄院并正月元朝祭禮不懈執行之事」
戦国未来の連載シリーズ一覧
井伊谷城と井殿の塚の訪問記~駐車場情報など【おんな城主・直虎】
大河ドラマで注目「龍潭寺」みどころと南渓瑞聞とは~井伊家発祥の井戸も

共通カウント (寄稿)戦国未来

カウンター

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1.  淀殿をご紹介する記事では、できる限り中立的な立場にて記載したつもりですが、父・浅井長政や、母・お市…
  2.  片倉喜多(かたくら-きた)は、1538年に伊達家臣・鬼庭良直の娘(長女)として生まれた。  母は…
  3. 石井彦鶴姫は、1541年に肥前・飯盛城主である石井常延(石井兵部少輔常延)の次女として生まれました。…

人気の戦国武将

  1. 南渓瑞聞(なんけいたんぶん)とは、井伊谷城主・井伊直平の次男である。 生年は不明。 戦国初期…
  2. 広島城(ひろしまじょう)は1589年に築城された輪郭式平城で、別名は鯉城(りじょう)、在間城(ざいま…
  3. 長篠城を包囲した武田勝頼に対して、徳川家康・織田信長が38000の援軍を派遣すると、武田勝頼が120…

オリジナル戦国グッズ

限定「頒布」開始しました。無くなり次第終了です。
戦国オリジナルバック

 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります
 オリジナル書籍
柳生一族
2016年10月、書籍・電子書籍にて販売開始

 オリジナル電子書籍

2016年8月、戦国武将研究会著作
ページ上部へ戻る