連載:戦国未来の古文書お気軽読み 第19回 『井伊家伝記』「第9段 井伊彦次郎直満同平次郎直義傷害之事」


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古文書に魅了されて早うん年の戦国未来(せんごくミク)と申します。

今回ご紹介するのは、『井伊家傳記』より「第9段 井伊彦次郎直満、同平次郎直義傷害の事」です。

『井伊家傳記』は、龍譚寺九世住職・祖山法忍が、記録や口伝を基に、正徳5年(1715年)に書き上げた井伊家の由緒書(全66段)で、龍潭寺に保管されています。写本は数多く存在しますが、中でも二宮神社の神主の中井直恕(『礎石伝』の著者)による元文5年(1740年)の写本「乾坤本」(彦根市立図書館蔵)には独自の注が付けられていて、注目に値する写本となっています。

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内容はと言うと、たとえば、井伊直平引馬城主であったとするなど、史実とは思われないことも書かれていますが、遠江井伊氏研究のバイブル(基本史料)であることには間違いありません。

では、早速、「第9段 井伊彦次郎直満、同平次郎直義傷害の事」について読んでみましょう。

【未来のお気軽訳】 井伊彦次郎直満、同平次郎直義傷害の事

一 天文10年(1541年)の頃から、甲斐国の武田信玄の指図で、武田軍がしばしば遠江国の東北の国境に位置する井伊家の領地を少しずつ横領し始めた。これにより、井伊彦次郎直満と井伊平次郎直義の二人は、井伊信濃守直平公の命令で、武田信玄の家来と戦う準備をしていたことを、井伊直盛公の家老である小野和泉守は、亀之丞(井伊彦次郎直満の実子。井伊肥後守直親の幼名。井伊侍従直政公の実父)の養子の儀(亀之丞を直盛の娘の婿養子にして井伊家を継がせる事)について不満があったので、密かに駿府(今川氏の本拠地である静岡県静岡市)へ行き、今川義元に直満・直義の二人が、私的に軍謀密策を企てていると「讒言」(ざんげん。嘘をついてある人を貶めること)をしたので、すぐに「(直満・直義の二人は)駿府に来るように」との召喚状が来た。それで、直満・直義の二人揃って駿府へ向かった。そして、天文13年(1544年)12月23日に殺害(誅殺)された。その後、井伊彦次郎の屋敷や山林は、残らず龍潭寺の末寺の円通寺に寄進された。東西南北の境を決めて、寄進状に掲載している。
それについて、井伊平次郎直義、井伊形部(※「刑部」の誤り)少輔直元のこの二人は、井伊直平公の四男・五男であるが、岡本半助が制作した井伊家系図には、この二人は書かれていない。しかし、この2人共、(第26段掲載の)寄進状に戒名が載っていて、祠堂田もあるし、南渓和尚の過去帳に、俗名、戒名共に記されているので、(実在したのは)間違いない。井伊平次郎直義の戒名は「即休成心」で、井伊彦次郎直満と同じ天文13年(1544年)12月23日に駿府で殺害された。井伊形部(※「刑部」の誤り)少輔直元の戒名は「賢翁道哲」で、天文10年(1541年)5月14日に井伊谷で病死している。

です。

井伊直満・直義が誅殺された理由はよく分かっていませんが、『井伊家伝記』によれば、「武田信玄が遠江国に侵入していたので、井伊直平はそれを阻止しようとして、息子の井伊直満・直義兄弟に戦いの準備をさせていたところ、井伊家家老・小野和泉守政直が今川義元に『井伊直満・直義兄弟が戦いの準備をしている』と嘘を教えたので、今川義元は怒り、2人を駿府へ呼んで誅殺した」のだという。また、小野和泉守政直が嘘をついた理由は、「亀之丞(後の井伊直親)を直盛の娘・次郎法師の婿養子にして井伊家を継がせる事について不満だったから」とあります。

疑問はいくつかあります。

①本当に武田軍は、遠江国に侵攻していたのか?(当時、今川氏と武田氏は同盟を結んでいたので、今川氏の領地である遠江国には侵攻してこないはず。)

②井伊直満・直義兄弟の「私之軍謀」と何か?(「私」であるから、井伊直平や井伊直盛は誅殺されなかったのでしょう。それにしても「軍謀」が「今川氏への反逆」だとして、2人だけで勝てると思っていたのでしょうか?)

③本当に小野政直は、駿府まで直訴に行ったのでしょうか?(直前に訪れた連歌師・宗牧(今川氏の間者)に依頼した?)

④なぜ小野政直は、亀之丞と次郎法師の結婚が不満だったのでしょうか?(一説に、自分の息子と次郎法師を結婚させたかったから。また一説に、次郎法師の聟は、今川氏(の親戚)がいいと思っていたから。)

<写真1:「井殿の塚」(井伊直満・直義兄弟の墓)・「直満屋敷」道案内>

<写真2:「井殿の塚」は井伊氏居館の北西端、「直満屋敷」は井伊氏居館の北>

<写真3:「井殿の塚」はタブノキの巨木が目印>

<写真4:「井殿の塚」(井伊直満・直義兄弟の墓)>

<写真5:「井殿の塚」(井伊直満・直義兄弟の墓)案内板>

 

どうでしたか?

感想をコメント欄に書いていただければ幸いです。

では、最後に原文を載せておきますね。今回の記事を参考に、解読に挑戦してみてね。

井伊彦次郎直満同平次郎直義傷害之事

一 天文十年辛丑之比ゟ、甲州武田信玄差圖を以、甲州家人漸々東北遠江境井伊家之領地段々押領申候。依之、彦次郎直満、平次郎直義両人、則、信濃守直平公之下辞ニて、信玄之家頼と相挑候内支度被致候を、直盛公之家老・小野和泉守、龜之丞(井伊彦次郎直満之實子。井伊肥後守直親公之童名。井伊侍従直政公實父也。)養子之儀ニ付遺恨故、密ニ駿府へ罷下候て、今川義元江、両人私之軍謀相企之旨、讒言春。因之、早々召状到来、則、直満、直義両人共ニ駿府江下向、終ニハ天文十三甲辰十二月廿三日ニ傷害云云。其後、彦次郎屋敷并山林不残龍潭寺末寺圓通寺ニ寄附。則、東西南北之境相立申寄進状に載里申候。就夫、井伊平次郎直義、同形部直元右両人ハ、直平公之四男・五男ニ候得共、岡本古半助所編御系圖ニハ、右両人ハ落申候。然共、右両人、寄進状ニ法名相載り、祠堂田も有之、南渓和尚過去帳ニ俗名、法名共ニ有之、相違無之候。平次郎直義、法名「即休成心」、彦次郎直満と同時天文十三年十二月廿三日、於駿府傷害。形部直元、法名「賢翁道哲」、天文十年五月十四日、於井伊谷病死。

(つづく)

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