今井宗久の解説 織田信長が最も信頼した茶人

今井宗久

今井宗久とは

今井宗久(いまい-そうきゅう)が生まれたのは、戦国時代の1520年で、大和の今井町にて誕生した。
父は今井宗慶(今井出羽守宗慶)の3男で名前などは不明。母も不詳。
今井宗久の名は今井兼員で、初名を久秀、通称を彦八郎のち彦右衛門。号は昨夢庵寿林。屋号は納屋。薙髪の後に宗久と名乗った。
納屋を称するのは堺の倉庫業・金融業などの実力者であると言う事だ。


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先祖は近江佐々木氏でで、近江国高島郡今井市城を領していたので「今井」と称したようだ。

今井彦右衛門兼員と称していたが、本願寺門徒として青年期に堺に入り、納屋宗次の居宅で寄宿し、豪商・武野紹鴎(たけのじようおう)から茶を学んだ。
武野紹鴎の弟子しては、足利義輝荒木村重千利休、津田宗及、細川藤孝松永久秀三好義賢長谷川宗仁らの名も見られる。
 
このころから納屋宗久と称して茶会に出席し、やがて武野紹鴎の娘を娶り婿養子となって、家財茶器などを譲り受けたという。

初めは当時、甲冑製造で需要があった鹿皮などの皮製品を全国の武将に販売して各地の戦国大名との繋がりを深め、その後、納屋業(倉庫兼金融業)のほか薬種(硫黄)、火薬、鉄砲などの商売も行い、納屋衆の中でも最高の財力を誇った。


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1551年、天王寺屋主人で堺の豪商の津田宗達(津田宗及の父)の茶会に招かれた。

1554年、大徳寺塔頭大僊院に170貫を寄進し、寿林宗久・昨夢齋の号を授かる。
現存する茶会記「今井宗久茶湯書抜」では1554年~1589年に、合計83回の茶会記が記載されている。
1555年、武野紹鴎が死没。子の宗瓦はまだ5歳の子供だったため後見人となり、武野家の私財と茶器などの管理一切を任され、以後は多くの豪商・茶人を集めて何度も茶会を主催した。

将軍・足利義昭にも茶湯をもって近侍し、織田信長の堺に対する矢銭徴課に当たっては、神妙にすぐ応じたと言う。

1568年10月、織田信長が上洛すると、様子見の堺衆に先立ち、と摂津西成郡芥川で会談。織田信長も茶には大変興味を示していたので、紹鴎伝来の松島の茶壺や、紹鴎茄子などの名物を献上した。
それがきっかけで織田信長は茶の湯に夢中になったと言う。このように、堺の実力者として、いち早く織田信長の信頼を得ると、足利義昭からは大蔵卿法印の位を授かった。
織田信長が堺に対して矢銭20000貫の税を課した際、堺の会合衆は三好氏の力を背景に徹底抗戦の姿勢を見せたが、今井宗久(49歳)は津田宗及とともに会合衆を説得。
織田信長は堺を直轄地とし、今井宗久は摂津住吉郡に2200石を与えられたが、今井宗久が堺を戦火から救ったとも言える。
これ以降、今井宗久は織田信長より、さまざまな特権を得たと言う。


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1569年には、堺近郊にある摂津五カ庄(堺五ケ庄)の塩・塩合物の徴収権と代官職、淀川今井船(淀過書船)の利用(淀川の通行権・関銭免除)を得て、1570年には長谷川宗仁とともに生野銀山などの但馬銀山を支配。
また、代官領に河内鋳物師ら吹屋(鍛冶屋)を集め、鉄砲や火薬製造にも携わった。
これらにより、会合衆の中でも抜き出た存在として堺での立場を確実なものにし、織田信長の天下統一を支え、徳川家康にも接近した。
また、茶人としても千利休、津田宗及とともに茶湯の天下三宗匠と称せれ、織田信長の茶頭を務めている。

1576年6月の姉川の戦いでは、織田信長の命令を受けた羽柴秀吉が懇願し、わずかの間に鉄砲薬・焔焼(えんしょう)薬各三十斤を届け、勝利に貢献したのも、今井宗久である。

1578年9月、石山合戦の際、本願寺を支援した毛利水軍を撃破するため、九鬼嘉隆に建造させた鉄甲船に乗った織田信長は、まず堺の浦に寄港したが、その際、今井宗久の屋敷を自ら訪問している。

明智光秀本能寺の変で織田信長が横死した後は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に仕え、堺の万代屋宗安、住吉屋宗無(山岡宗無)とともに羽柴秀吉の御咄衆を務めたが、茶頭としては千利休が重用された。
1587年、羽柴秀吉が主催した聚楽第落成の交歓茶事北野大茶会にも茶頭として協力したが、今井宗久の序列は千利休、津田宗及の下であり、所蔵茶器が第4位を占めたと言う。

しかし、羽柴秀吉は今井宗久よりも新興の薬種商・小西隆佐や千利休らを重用したため、織田信長時代の時ほどの権威では無かったと考えられている。

1591年、千利休が切腹。

今井宗久は、1593年に死去。享年73。墓所は大阪府堺市の臨江寺にある。


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今井宗久の子・今井宗薫も茶人であったが、やはり豊臣秀頼ら大坂方には嫌われたようで、徳川家康の庇護を受けている。

今井宗久が戦国時代に建てたと言う茶室(国の登録有形文化財)が、大阪府堺市堺区の大仙公園内に移築されている。

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