今村藤七郎の忠義と貢献~今村正実とは?【おんな城主直虎】


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今村藤七郎

今村藤七郎(今村正実、今村藤七郎正実)は井伊直満の家老で、1544年12月29日、10歳の井伊亀之丞を叺(かます)に隠して運びだし、井伊領である黒田の山中に隠れます。

しかし、追っ手が迫ったため渋川・東光院に逃れました。

東光院の住職(和尚)は、南渓和尚の弟子である能仲(のうちゅう)であり、和尚と相談すると、龍潭寺開山の黙宗禅師が修行した信州市田(長野県高森町)にある松源寺へ匿う事を依頼します。

こうして、今村正実(今村藤七郎)と井伊亀之丞は、東光院の住持・能仲が匿うよう依頼した信州伊那郡市田村の松源寺へと逃れたのです。

しかし、遠州渋川の歴史によると、この時、今村正実(今村藤七郎正実)が井伊亀之丞を連れて、渋川の坂田峠を超えようとした時に、今川家の家臣で街道に常駐していた右近次郎(おこのじろう)と言う武将に矢を射かけられたとあります。

危険を回避して無事に信州に逃れた今村正実(今村藤七郎)は、井伊亀之丞(井伊直親)を10年間も養育したと言う忠義者です。
しかし、許嫁の亀之丞は亡くなってしまったと思い込んだ井伊直虎は、深い悲しみに暮れ、亡き亀之丞の冥福を祈りながら生涯を送ろうと、南渓和尚にお願いして髪を下ろし出家したとされます。次郎法師ですね。

井伊直親は、信州の松源寺を出て井伊谷城に戻った6年後となる1562年に、事の釈明のため家臣らと今川氏真の駿府に向かいました。
しかし、そのう途中、懸川(掛川)にて今川氏真の意を受けた家臣・朝比奈泰朝に井伊直親が討伐されています。27歳でした。

なお、今村正実(今村藤七郎正実)の没年は1573年2月23日とされるため、この掛川の時は従っていなかったようです。

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今村正実(今村藤七郎)は勝間田家の子孫とされておりますが、詳しい事は不明です。

龍潭寺にある井伊家の墓所すぐ近くに、忠義の士・今村正実(今村藤七郎正実)の墓があります。

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