石田三成出生の地である石田屋敷跡と石田一族供養塔~三碗の才の大原観音寺


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石田三成が誕生した地である石田屋敷跡は近江・長浜にあります。

長浜市石田町にある日吉神社仮本殿脇に公民館である「石田会館」がありますので、その石田会館が石田三成関連の観光スポット拠点となります。
この石田会館がある場所は、かつて石田屋敷があった場所とされています。

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下記は石田治部少輔誕生地碑です。

石田家の屋敷跡となる石田会館(公民館)の敷地には、下記のような西郷隆盛のうたの石碑もありました。

石碑の脇には石田三成の銅像も建っています。1990年の390回忌に建立されたものですが、京都・大徳寺から鑑定された頭蓋骨と、青森杉山家に残る肖像画を参考にしたそうです。

敷地の奥には「堀」の跡もありました。
各写真はクリックすると拡大致します。

なお、公民館「石田会館」は石田三成資料室にもなっており、パネルや甲冑の展示などを無料で見学可能です。

また、少しですが石田三成関連グッズも販売されています。
ただし、地元の自治会にて無料運営している関係上、開館時間や休みなどは不定です。
結構、お休みの日もありますので、その辺りはご理解のほどを。

小生が訪問した平日は、たまたま開いてましたので、声を掛けて見学させて頂きました。
写真は撮影して良いものと、撮影禁止の物がありますので、ご注意を。

なお、石田町の見どころはまだ他にもありまして、近くには石田一族供養塔などがあります。

石田一族供養塔は、八幡神社の奥地が「石田神社」になっており、その更に奥にひっそりとあります。

昭和16年に八幡神社の地面から、故意に破壊されたとみられる五輪塔の残欠が出土したと言う事で、石田三成の先祖の墓が、関ヶ原の戦いのあと壊されたのではないかと推定されているとの事で、この墓所が設置されたそうです。

清掃も行き届いており、丁重にお参り致します。

さて、石田町のバス停「石田」に行きますと、下記のようにきちんと整備されており、石田町の皆様は石田三成公を今でも尊敬していることが、良く分かりました。

石田町は石田三成のファンにとっては、まさに「聖地」と言えるでしょう。

石田バス停から北へちょっと進み、上記写真のところにある狭い道に左折すると、茅葺き屋根の廃屋手前に「産湯の井戸」があります。

しかし、石田町の集落も、脇道は下記のようにとても狭いです。

石田屋敷跡(石田会館)へのアクセス・行き方ですが長浜駅からだと約5.5km、車で10分の距離です。
歩くと1時間以上掛かりますのでタクシー利用が便利です。
また、JR長浜駅周辺にはレンタル自転車(レンタサイクル)も数軒営業している模様です。
下記の地図ポイント地点が無料駐車場の場所となります。

なお、石田会館の敷地にも3台程度は止められますので、平日であれば直接でも良いのでは?と思います。

上記写真は石田町の東にそびえる「横山城」(横山砦)です。
浅井長政小谷城攻略の際に、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が城主となった城ですね。
その横山城の向こう側には、大原観音寺があり、そこで佐吉が「三碗の茶」(三碗の才)を出したと言う訳です。

続きまして、石田三成が豊臣秀吉に三杯のお茶を出したとされるお寺さん「観音寺」をご紹介致します。

三碗の才「大原観音寺」

大原の観音寺へは、県道509号線にて石田山公園の東側へトンネルを抜けて行きます。
石田会館からだと、約2.3kmの距離です。
ただ、トンネルはトラックどうしのすれ違いがギリギリのようなちょっと古いトンネルでして、徒歩や自転車でトンネルを通過する場合はちょっと危険かも知れません。

大原観音寺(かんのんじ)は、仁寿年間(851年~854年)に奈良元興寺の僧・三修によって創建されたようですが、始めは伊吹山中にあったそうです。

1347年に現在の湖北の地に移転し、1383年からは天台宗となった古刹が現在の大原観音寺となります。
鎌倉時代から室町時代には、大原庄の領主・大原佐々木家の手厚い庇護のもと23坊の塔頭寺院を構えるほど興隆したと言います。

上記の惣門は重要文化財となっています。

戦国時代は浅井長政からも安堵・保護を受け、横山城主となった羽柴秀吉も寺領を安堵し、1576年には茶屋を申付けるなど、度々訪れました。
下記のように横山城の麓に位置しますので、豊臣秀吉がこの寺を何度も訪れるのは必然的な事だったのでしょう。

薬師堂の脇からは横山城への登山口となっています。
時間があれば横山城も訪れたかったのですが、今回は断念です。

その後、長浜城を築城した羽柴秀吉(豊臣秀吉)が鷹狩りで立ち寄った際、観音寺の小僧となっていたのが佐吉(石田三成)と言う事です。

こうして、佐吉(石田三成)は「三碗の才」で見出され、羽柴秀吉(豊臣秀吉)は住職に乞い願って家臣に加えた訳です。

石田三成が豊臣秀吉に献じた「お茶の水」を汲んだとされる、この古井戸の場所は、蓮池の西側、山の麓部分となります。

長い参道の先にある観音寺の天井に描かれた龍はすごく立派だとの事ですが、堂内の撮影は禁止です。
観光所要時間ですが、石田町と観音寺の両方で約30分くらいでした。

大原観音寺の山門前に数台止められる駐車場があります。
場所は下記の地図ポイント地点となります。

姉川の戦いが行われた、姉川合戦跡へもそんなに遠くありません。

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