かぶき者(傾奇者)とは

戦国時代の武将に「傾奇者」(かぶき者)と称された武人がいる。
鎌倉時代の公卿・近衛家平から始まり、戦国時代には名古屋山三郎、花房職秀、伊達政宗前田慶次(前田慶次郎、前田利益)の他、前田利家もそうであったし、織田信長徳川吉宗も傾奇者と言われることがある。
地味な色の着物をきた当時の男性の中で、かぶき者は色鮮やかな女性用の着物を、マントのように羽織ったりするなど、常識外れな派手な服装を好んだと言う。


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そもそも、傾奇者の意味は、奇抜な言動を好んだり、目立つ装束を身につけたりと、普通の人とはかなり異なる行動をした者を指しており、単なる目立ちたがり屋と言う事ではない。
「義」を重んじると言う仲間同士の結束の高さを現し、命を惜しまない気概と生き方であったり、社会風潮に反して自由に行きながらも信念を持ったりするような精神などを現したものとなる。

茶道や和歌などを好む者を数寄者が、更に数寄に傾いた者と言う意味で「傾奇者」となった。

特に大阪の陣のあとに江戸にて流行り「派手な振る舞いをする男」「派手な出で立ちの男」と言う意味も含むと言うが、徳川幕府や諸藩の取り締まりも厳しくなり、廃れたと言う。
しかし、その表現などは「歌舞伎」と言う芸能の中で受け継がれていった。

なお、時代によっては「バサラ」(婆娑羅)となったり、伊達政宗由縁の「伊達男」とも称されたりする。

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