甲斐・善光寺【武田信玄と信濃・善光寺との関係は?】

甲斐・善光寺とは

甲斐の善光寺(ぜんこうじ)は、戦国時代の1558年に武田信玄が創建した寺です。
開山は信濃善光寺大本願三十七世の鏡空。
武田信玄上杉謙信が「川中島の戦い」で雌雄を争ったことは有名ですが、元々「善光寺」と言うのは信濃(長野市)にあります。
1555年に、今川義元の仲介で、武田信玄と上杉謙信が和睦すると、上杉謙信は信濃・善光寺の大御堂本尊・善光寺如来や、寺宝を越後へ持ち帰って、直江津に如来堂を建立し安置しました。

そのため、武田信玄は1557年2月15日に葛山城を陥落させると、信濃・善光寺本尊の阿弥陀如来像や寺宝を甲府に持ち帰り、善光寺別当の栗田氏らも甲府へ転居したのです。
なお、善光寺の別当・栗田毛一族は、武田方と上杉方にと分裂しています。


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秘仏とされる善光寺如来が甲斐に到着すると、甲斐の領民は非常に喜んだと塩山・向嶽寺の記録に残っています。

善光寺如来は仮堂に収められ、1565年に甲斐・善光寺の本堂(金堂)が完成すると、ようやく入仏供養が行われたと言います。

甲斐・善光寺

1582年、織田信長の甲斐攻めにおいては、甲斐を占領した織田信忠がこの善光寺に入り、戦後処理を行いました。

小山田信茂らが織田信忠に挨拶にきた際に、一族がこの善光寺にて処刑されたとされ、また、武田信玄の6男・葛山信貞もここで自刃または処刑されたと言われています。

1582年に武田勝頼が自害して武田家が滅んだあとは、徳川家康・羽柴秀勝・浅野長政加藤光泰浅野幸長らの寄進状も見られますが、本尊像は1598年に信濃・善光寺に戻されました。
そのため、現在の本尊は銅造阿弥陀三尊像(秘仏)で、信濃・善光寺の御開帳に合わせて公開されています。

甲斐善光寺

有料拝観は8:30~16:30で、本堂・宝物館共通券が500円です。

境内には武田家臣横田高松の墓とされるものと、豊臣秀吉の家臣で、1590年から甲斐を治めた加藤光泰の墓所があります。

甲斐善光寺

甲斐善光寺の駐車場

甲斐・善光寺には無料の駐車場があります。
下記の地図ポイント地点が駐車場の入口となります。
大型バスも無料です。

武田信玄についてはこちら
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