木俣守勝~井伊家を筆頭家老として支えた名将


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木俣守勝(きまた- もりかつ)は木俣守時の子として1555年に誕生した。

木俣家は三河譜代の家柄であり、幼いころから徳川家康に出仕し、1570年に元服している。通称は木俣清左衛門尉。
しかし、家族と仲違いして徳川家を出奔すると、織田信長に拝謁し50石にて明智光秀に仕えた。
明智家でも播磨攻め・石山本願寺攻などで軍功が目覚ましかったことから、徳川家康織田信長に頼み込み木俣守勝を復帰させている。

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1582年、本能寺の変のあと、徳川家康の伊賀越えでは、地理に明るい木俣守勝の警護にて無事に岡崎城への逃亡に貢献。

天正壬午の乱の際、井伊直政は自ら槍を振り回して先頭に立って戦うことが多く、実質的に木俣守勝が井伊勢の指揮を取った。
滅亡した武田旧臣を取り込むため、成瀬正一らと甲斐に入ると、一条家・山県家・土屋家・原家に属していた旧臣を徳川家に迎え入れている。
また、小田原城北条氏直との交渉では、22歳の井伊直政が担当したが、副将として木俣守勝が補佐した。

徳川家康は武田旧臣の多く(120名)を井伊直政の傘下に配置し「甲州同心衆」とし、木俣守勝が統括したため、次第に木俣守勝も井伊直政の寄騎になったと推定されており、井伊直政からは2000石を与えられている。

1585年の第1次上田城の戦いである真田昌幸攻めにも出陣している。

1590年、徳川家康の関東移封によの井伊直政が箕輪城に入ると、木俣守勝は3000石となり箕輪城内の「木俣?」に居住。
この時、井伊家の家臣団は再編されて、井伊直政の寄騎(徳川家臣)は、井伊家の正式に家臣となり「御付人」と称された。
この中で、木俣守勝は御付人として井伊家の筆頭家老となり、付家老の先駆的存在となった。

なお、この頃、井伊直政の大恩人とも言える新野左馬助の娘が、木俣守勝に再嫁したようで、連れ子も養子となって木俣守安と称している。

1588年、井伊家の居城を高崎城とすると、井伊直政の留守中は木俣守勝が政務を行った。

1600年、関ヶ原の戦いのあと、18万石にて佐和山城に入った井伊直政からは、長年の功労を称されて「村雨の壺」が木俣守勝に贈られている。

1602年、関ヶ原での鉄砲傷が元で井伊直政が亡くなり、井伊直継(13歳)が家督を継ぐ。

この時、井伊直政は家老・木俣守勝に下記のような遺言を残した。

・井伊家は徳川殿のお取り立てによって今日があることを忘れてはならぬ。
・徳川家へのご奉公第一につとめること、忠節一筋を心掛けよ。
・代々、家を継ぐものに申し送って、違反の内容にさせよ。
・井伊家では将軍家や一門などとは婚姻を結ばないよう計らえ。

木俣守勝(木俣土佐守守勝)は井伊家の家督相続の礼に徳川家康を訪ねると、彦根は軍事的に重要拠点であると説かれ、鈴木重好とともに井伊直継の補佐と彦根城の新城築城を命じられる。
武田家臣だった山県昌景の築城法や、山本勘助流軍学に明るい、井伊の赤備え部隊でもある早川幸豊(早川三左衛門)と広瀬景房(広瀬美濃守景房)を築城奉行に抜擢して、彦根城は新築された。
ちなみに、彦根城は江戸幕府が諸大名に普請をさせた「天下普請」である。

このページトップの屋敷門は、彦根城にある木俣家屋敷の門。

晩年の木俣守勝(木俣土佐守守勝)は4000石となったが、次第に病気がちとなり、1605年頃からは木俣守勝に代わり、鈴木重好が井伊家の政務を取り仕切る。
すると、鈴木重好の親子の不正を、椋原正直や西郷重員らが徳川家康に告発する事態となる。
木俣守勝は、鈴木重好の弁護をしたが、徳川家康は鈴木重好を追放とし、木俣守勝に政務を行わせ、鈴木重好の子・鈴木重辰や椋原正直・西郷重員らに和解の起請文を求めてて事態を収めている。

1608年、改易された筒井家の伊賀上野城を、主君・井伊直継とともに木俣守勝が受け取りを確認。

1610年、病に倒れた木俣守勝の元には、徳川家康から薬が贈られるなどするも、1610年7月11日、静養先の京都にて死去した。享年56。
金戒光明寺に葬られている。

その後、木俣家の家督は、養子となっていた木俣守安(きまた-もりやす)が継いでいる。
1614年、大坂冬の陣では井伊勢の先鋒を務めた。
その功績もあり、元和元年(1615年)に木俣守安は家老となり、のち筆頭家老となった。

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