騎西城(私市城)~土塁も残る成田氏傘下の城跡


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騎西城(きさいじょう)は、埼玉県加須市にある平城です。別名は私市城(きさいじょう)、根古屋城とも呼びます。

1455年に、古河公方足利成氏が、深谷上杉家の長尾景仲と庁鼻和性順(こばなわ-せいじゅん)が守る騎西城を攻撃したとあります。

1552年頃には、小田顕家が騎西城主となっています。

その後、成田家に臣従した小田顕家は、忍城主・成田親泰の次男・成田助三郎(成田朝真)を養子に迎えると種垂城に隠居しました。

1563年、武蔵・松山城の救援に間に合わなかった上杉輝虎(上杉謙信)が騎西城の小田助三郎を攻撃して落城させています。

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忍城の成田長泰が長尾景虎(上杉謙信)に従うと騎西城も上杉家、北条家に従うと騎西城も北条家と支配が変わります。

1574年、第三次関宿の戦いにて、簗田持助の関宿城北条氏政の大軍に包囲されたため、上杉謙信が騎西城や菖蒲城・羽生城・岩槻城などの城下を焼き討ちしています。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めでは北国軍の一部に攻められて落城。
そのあと、徳川家康江戸城に入ると、騎西城には沼津城(三枚橋城)から松平康重が20000石にて入っています。
松平康重は、徳川家康の実の子とも言われる武将です。

関ヶ原の戦いの後には、1601年に大久保忠常(小田原城主・大久保忠隣の長男)が騎西城主となりました。

その後、1611年に8歳で家督を継いだ大久保忠職(奥平信昌の外孫)が、1632年に50000石で美濃・加納城へ移封となったため、騎西城は廃城となり、徳川幕府の天領となりました。

騎西城の天守

現在の天守は「模擬天守」となります。

戦国時代から廃城になるまで、天守は無く、平屋の「館」であったと推定されていますが、このような天守にて復元されています。

騎西城の建物内部となる郷土史料展示室は1975年(昭和50年)に閉館となり閉まっています。
ただし、郷土史料展示室(騎西城の内部)は、年2回公開、藤まつりの期間(5月上旬)と騎西地域文化祭がある11月上旬に限定公開されるようです。

なお、この模擬天守も、本丸跡にある訳ではなく、正直なところ、かなり適当なスポットではありますが、これだけの模擬天守を建てると言う意気込みは評価したいです。

下記は土塁跡ですが、周りは住宅地となっています。
結構、規模の大きな土塁です。

その土塁がある場所を地図のポイント地点とさせて頂きます。

無料駐車場は騎西城の模擬天守があるところにあります。

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