お紺の解説~小寺政職の正室(小寺福職の娘?)をわかりやすく

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御着城

お紺とは

NHK2014年大河ドラマ「軍師官兵衛」に登場した御着城主・小寺政職の正室「お紺」。
最新の研究では、同族である小寺福職の娘とされるが、この小寺福職の娘は小寺政職の母との記述もある。
ドラマでの小寺政職とお紺の設定としては、始めはなかなか子どもが出来ず、夫婦仲も余り良くなかったとしている。


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お紺は勝気で皮肉屋なところがあったが、黒田官兵衛と出会うと当初から通い合うものがあった。

やがて、小寺政職とお紺の間に嫡男・斎(いつき)が生まれてからは、生来の聡明さで小寺家を支えたとしています。
そして、お紺は死んでしまうのですが、小寺家を陰ながら支えていたお紺がいなくなった事で、小寺政職は迷走し、黒田官兵衛には人生最大の危機が訪れます。

と言う事なのですが、調べても「お紺」に関する史料が、なかなか出てきません。
すなわち「不明」です。


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■小寺政隆(1472~1530)
 1519年に御着城を築き、赤松氏を守った。
 1521年、浦上村宗が赤松義村を殺害すると赤松義村の子、赤松晴政を擁立するが浦上村宗の打倒に失敗し、御着城から庄山城に移った。享禄3年に浦上村宗に攻められて自害。

■小寺則職(生没年未詳)
 享禄3年、死亡した父・小寺政職の跡を継ぎ御着城に拠った。永正年間から父と共に活動し、赤松氏の後援を行っている。
 1545年、家督を嫡男・小寺政職に譲って引退。黒田重隆を家老に抜擢し、小寺の苗字を与えた。

■小寺政職(?~1582)
 黒田官兵衛の献言により織田家へ仕えるが、荒木村重の謀反に呼応して反織田の姿勢をとったため、有岡城(荒木村重)の落城と共に御着城を逃れて中国地方を流浪し、備後鞆の浦で死去。

小寺氏職(?~1627) 
 小寺政職の子。加賀守。有庵と称し、黒田家の客分となり、のち黒田長政の家臣として福岡藩士となった。

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