来島村上家の来島通総と来島城【村上海賊】


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来島通総(くるしま-みちふさ)の本拠地である来島城(くるしまじょう)は、標高41m、比高41mであり、村上水軍のうちの来島村上家の本拠地です。
築城は、1419年、村上義顕の3男・村上吉房が来島に分家した際と考えられています。

激しい潮流がある難所・来島海峡の西側に位置する来島は、その周囲約1kmを水軍要塞化した島になっており、最北部に本丸、二ノ丸、三ノ丸があるそうです。
ただし、来島城は有事の際に防衛拠点であり、平時には対岸の波方浦にて暮らしていたそうです。

村上水軍の一族である来島村上家・村上通康の4男として来島通総(村上通総)は1561年に生まれました。
なお、来島村上家は、その地勢からも早くから伊予の河野家に臣従しています。

1567年に父・来島通康が病死すると、僅か7歳で来島通総(村上通総)が家督を継ぎました。
兄に得居通幸、村上通清がいますが、来島通総(村上通総)の母は、正室である河野通直の娘であったため、4男にもかかわらず家督を相続したようです。

来島通総の正室は平賀隆宗、又は平賀広相の娘で、1582年には次男・来島長親が生れています。

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当時、従っていた河野家と毛利家は同盟関係であり、毛利元就大友宗麟を攻めた際には、来島水軍を率いて出陣しています。
しかし、この海戦にて毛利水軍を率いる村隅水軍の本家筋である村上武吉と不仲になったとも言われています。

1582年、毛利家を攻める羽柴秀吉(豊臣秀吉)から調略を受けると、湯築城主・河野通直を見限って織田信長に臣従したため、毛利家や河野家に攻められました。
この時、来島通総(村上通総)は来島城を放棄して、羽柴秀吉の元に身を寄せました。
なお村上通総(来島通総)の兄・得居通幸は鹿島城を守り抜いています。
その後、毛利家と羽柴家が和睦したことから1584年に来島城に復帰しますが、羽柴秀吉は村上水軍の3家の中で、早くから味方についた来島通総を「来島、来島」と呼んで重用したため、姓名を村上氏から来島氏に改めたとされています。

下記の写真は、来島海峡大橋を見下ろす、糸山公園の糸山展望台より撮影した来島城です。

ちなみに、西瀬戸自動車道(しまなみ海道)の来島海峡大橋は下記のような感じに見えました。

1585年、豊臣秀吉の四国攻めにおいては、小早川隆景の指揮のもと先鋒を務めて、河野通直を降伏へと追い込みました。
この戦功により、伊予風早郡1万4000石となると、来島城を廃城として、兄・得居通幸の鹿島城を本拠としています。
下記写真は鹿島城です。

1587年には九州攻め、1590年には小田原攻めにも水軍を率いて参戦し、年代は不明ですが豊臣姓も下賜されています。

来島通総は1592年からの朝鮮出兵でも水軍を率いて進撃しましたが、1597年9月16日の鳴梁にて朝鮮水軍の板屋船の攻撃を受け来島通総(村上通総)は討死しました。享年37。
兄・得居通幸も日にちは確定していませんが、鳴梁にて同じく討死しています。

長男・来島通則は早くに死去していたため、福島正則に仕えていた次男・来島長親が家督を継ぎました。

関ヶ原の戦いでは、毛利輝元と共に西軍・石田三成に協力したため、家督を継いでいた来島長親は所領没収となります。
しかし、本多正信片桐且元の取り成しにて、豊後・玖珠郡森で14000石となりましたが、来島城は廃城となっています。
豊後の森藩として来島家は幕末まで続きました。

来島城へは今治・波止浜から定期船(フェリー)で5分です。
ただし、船は近くの島にも行くので、運行本数は1日7本程度と少ないので、事前に時刻など調べてから上陸すると良いでしょう。

下記地図のポイント地点は、今回、来島城を撮影した糸山展望台の場所です。
トンネルを抜けて左折した上にある駐車場に止めて、徒歩5分といったところでしょうか?
地図は来島を示している訳ではありませんので、ご注意願います。

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