黒田高友 (黒田休夢、小寺休夢)の生涯をわかりやすく30秒で

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随願寺

黒田高友(黒田休夢、小寺休夢)は、1525年生まれ。通称は千太夫。
黒田職隆の弟で、黒田官兵衛の叔父に当たる。
黒田高友は僧となり、黒田休夢と称して増位山の地蔵院(多数の坊舎が立ち並ぶ大寺院)に住んだとされ、黒田官兵衛の生母である明石宗和の娘(いわ)と共に、文人との評価も高い黒田官兵衛に大きな影響を与えた。

 (トップ写真は随願寺)

増位山は三木家の別所長治との間でたびたび戦場となり、1573年には、黒田休夢が守る有明山城を攻撃して落城させ、さらに増位山も攻めて、別所勢が寺塔をことごとく破却したが、のち1586年、羽柴秀吉によって再興されている。


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黒田休夢は和歌に秀でた人物で、1584年頃の茶会にも招かれるなど、羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕え御伽衆に加わり、1587年には島津氏を討つための九州遠征に従っている。

千利休や羽柴秀次(豊臣秀次)とも書状を交わすなどし、文禄の役でも肥前名護屋で茶会に参加している。 

没年は不明。


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