三原城と石垣~小早川家が築城した本格的な水軍城


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三原城(みはらじょう)は、小早川隆景が1567年頃から築城を開始した梯郭式平城で、浮城、玉壺城とも呼ばれます。

この場所には、小さな島や沼田川の中州があったようで、それらを活かして、三原湾から毛利水軍が出撃できる水軍城として築城した模様で、三原要害とも呼ばれています。

1580年以降は、本格的な海城として整備され、小早川隆景も本拠地を新高山城から三原城へ移ました。

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城下には、新高山城下などから寺院など移し、背後の桜山城を詰めの城としたようです。
三原城・甲の丸とも呼ばれ、石垣などが残っているそうです。

1587年、豊臣秀吉の九州攻めの際に、小早川隆景は加増を受けて名島城主となった為、しばらく三原城を離れていましたが、1595年に養子・小早川秀秋に家督を譲ると、三原城に戻って隠居しました。
この時、小早川一族や譜代の家臣、三原衆も三原城に戻っています。

天主台の西側のバスターミナルの真ん中にある「隆景広場」には、小早川隆景の銅像があります。

そして、更に三原城を改修するため、新高山城にて使っていた石垣を夜間も運ばせており、この時、とても大きな天守台が完成したものと推測されています。

天主台の大きさは、広島城の天守閣が6個入る日本有数の広さとなっています。
しかし、小早川隆景は1597年に病死しました。

1600年、関ヶ原の戦いの後、福島正則広島城に入ると、三原城主には養子・福島正之が入っています。
この際、福島正則は、広島城の西側に12基の二重櫓を増設しましたが、三原城にも10基の二重櫓を設けた模様です。

こうして、三原城は隅櫓32、城門14とかなりの規模の海城となりました。
しかし、天守台には天守ではなく、3基の二重櫓が建てられた模様で、それぞれを多聞櫓にて連結させていた模様です。(三層の天守があったとする説もある。)

1619年、福島正則が改易となると、紀伊和歌山藩主・浅野長晟の筆頭家老である浅野忠長が入り、広島藩の支城として幕末まで三原城が使われました。

江戸時代の1707年の大地震では、三原城の修復に役夫25000人を動員したと言います。

明治に入ると、三原城は解体され、明治27年(1894年)には、山陽鉄道・三原駅の建設に、本丸跡が使用されたため、三原城の天守台は、新幹線が通過する駅からも至近距離となっています。
至近距離と言うより、城跡に三原駅があると言って良いでしょう。

2004年度からは、天主台跡や堀の石垣などの景観保存が開始されている国の史跡で、見どころとしては石垣が主となります。

天主台石垣と水堀
東大手門南の水刎(みずはね)~水の流れを緩和する石垣
二の丸鍛冶曲輪跡の石垣
二の丸鍛冶曲輪跡の石垣(新幹線高架下)
二の丸船入櫓跡石垣~小島の一部といわれる岩礁が見れます
本丸東面石垣(新幹線高架下)

移築城門としては下記の通りです。

町奉行所西隣の生駒家の移築門(糸崎神社神門)
御作事奉行所門の移築城門(順勝寺山門)
御成御門の移築城門(安楽寺山門)~三原港から船で25分の佐木島となります
新高山城・奉行所の移築城門(極楽寺山門)
新高山城移築城門(宗光寺山門)

下記は三原駅の新幹線ホームしたに残されている石垣です。
タイムズの駐車場から駅に繋がる通路途中にあります。

三原城への行き方ですが、三原城跡(天主台)へは、なんとJR三原駅の2階コンコース(AM6:30~PM10:00)からしか進入できません。

駅の横であるため、クルマで訪問する場合には、駐車場が大変ネックかと思ったのですが、あっさりと、小早川隆景の銅像がある西口バスターミナルから進入する高架橋の下に「タイムズ三原駅新幹線口」(89台)がありました。

下記の地図ポイント地点が、その三原駅の駐車場タイムズの入口となります。

駅からでも有料駐車場からでも訪問に便利な三原城の観光所要時間は約20分でした。
城内を散策している方は誰もおりませんでしたが、近くをお通りの際には是非訪れてみて下さい。

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