なぞの溝呂木城と溝呂木正重


スポンサーリンク
スポンサーリンク

 溝呂木城神奈川県厚木市にあると考えられているが、実はどこにあったかが定かではない。

 厚木市の推測では、相模川・中津川・小鮎川の3つの川が合流する地点、現在、厚木パノラマタワー(国土交通省厚木無線中継所)がそびえ立つ付近と推定されており、なんでも、付近には溝呂木という名の家も古くからあると言うことだが、城の遺構などは一切発見されておらず、溝呂木城の場所は定かではないと言うのが正しい。もっとも、相模川の洪水により、昔と今では地形がかなり変化しているとも考えられる。

 長尾景春の乱の時、溝呂木城主は溝呂木正重と言う説があり、城に火を放って逃亡したとも言われている。

 なお、愛甲石田の石田寺にも、溝呂木家の墓が多数あるようだ。

 スポンサーリンク



訪問しておきたい神奈川県の城郭・寺院・古戦場など一覧リスト

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1. 常高院(じょうこういん)・浅井初(お初、於初)は、1570年に小谷城にて生まれた。 父は小谷城主・…
  2. 慶誾尼(けいぎんに)は、慶ぎん尼とも書きますが、1509年に生まれた村中龍造寺家の当主・龍造寺胤和(…
  3.  阿南姫(おなみひめ)は、米沢城主・伊達晴宗の長女として1541年に生まれた。兄に岩城親隆、弟に伊達…

人気の戦国武将

  1. 松山城(まつやまじょう)は、伊予(愛媛)の松山にある標高132m、比高約90mの連郭式平山城で、津山…
  2. 北条氏康(ほうじょう-うじやす)は、小田原北条氏の第2代当主・北条氏綱の嫡男として1515年に生まれ…
  3.  5歳の時に疱瘡に掛かり、一命は取り留めるものの右目を失った梵天丸。  米沢にて虎哉和尚や片倉景綱…

オリジナル戦国グッズ

限定「頒布」開始しました。無くなり次第終了です。
戦国オリジナルバック

 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります
 オリジナル書籍
柳生一族
2016年10月、書籍・電子書籍にて販売開始

 オリジナル電子書籍

2016年8月、戦国武将研究会著作
ページ上部へ戻る