佐久間盛政~鬼玄蕃と恐れられた猛将


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佐久間盛政誕生、1554年。

佐久間盛政は天文23年(1554年)尾張国で生まれました。
父親は織田家の重臣・佐久間信盛の従兄弟である佐久間盛次。
母親は佐久間信盛と同じく織田家の重臣だった柴田勝家の姉でした。
織田家の双璧の血を受け継ぐ盛政は生まれながらにしてエリートだったと言えるでしょう。

初陣1568年(14歳)

この年、織田家は上洛のため六角氏を討伐します。この六角討伐戦において盛政は初陣を飾りました。

1580年(27歳)

佐久間信盛追放に合わせて蟄居となりました。
佐久間盛政の親族である佐久間信盛は織田家の重臣であり、柴田勝家と共に長年織田家を支えてきました。
しかし、石山本願寺攻めにおいてなかなか突破口を見つけることができず、その結果この年高野山に追放されてしまいます。
柴田勝家の配下になっていた佐久間盛政には直接関係無い話ですが、佐久間盛政は自発的に蟄居して織田信長の下知を待ったと言います。

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加賀半国の主に出世

1582年、29歳のとき、北陸戦線での目覚ましい働きにより佐久間盛政は加賀半国を拝領しました。
丁度同時期、前田利家は能登を、佐々成政は越中を拝領していますが、両将は信長の直臣として数々の手柄を立ててきた先輩です。
そんな先輩たちと同じ時期に半国とはいえ、加賀を拝領したのですから、その功績が凄かったと織田信長が認めたのでしょう。
さて、佐久間盛政が拝領した加賀は一向宗が治めていた国であり、治めるには難儀すると言われていたようですが、盛政は上手く治めたようです。

賤ヶ岳の戦いと斬首

1583年、30歳のとき、織田信長が明智光秀により本能寺の変で倒れたのち、清洲会議を経て、佐久間盛政の主・柴田勝家と羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の対立が深まります。
そして両者は近江国賤ヶ岳で衝突しました。

佐久間盛政は羽柴秀吉が美濃方面に転身している隙を突いて、秀吉方の砦に攻め入り、鬼と呼ばれた中川清秀を討ち取りに成功。
気勢を上げますが、佐久間盛政の予想より早く羽柴秀吉が帰還。
引き際を見誤った佐久間盛政の軍勢は崩れ、それはそのまま柴田勢の崩壊につながりました。
佐久間盛政は捲土重来をめざし落ち延びようとしますが、あえなく捕縛されていまいます。
捕えられた佐久間盛政は一切の弁明をすること無く、山城国填島でその生涯を閉じました。享年30歳。

この時、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は配下になるよう説得したようですが、武辺ものであった佐久間盛政は頑として聞き入れなかったそうです。
ちなみに羽柴秀吉は肥後(現在の熊本県)一国を与えるつもりだったとか。
肥後と言えば国人衆の力が強い土地で、一向宗の国だった加賀を巧みに統治していた佐久間盛政の内政手腕に期待していたのかもしれません。
肥後については後年、佐々成政が九州征伐の後拝領しますが、国人衆の一揆を防ぐことができず佐々成政は切腹させられます。

お家再興(盛政死後)

佐久間盛政には一人娘である虎姫がいましたが、その娘は何と佐久間盛政が討ち取った中川清秀の次男・中川秀成の妻となります。
その後、中川秀成と虎姫の五男・中川内記が佐久間家を再興したため、血筋が後世に残りました。

その虎姫が嫁いだ岡藩(岡城)の菩提寺「英雄寺」の裏山のうえには、佐久間盛政殿慰霊碑(佐久間盛政の墓)があります。

英雄寺の裏から徒歩でも登るようですが、クルマで行ってみました。
ただ、登り口が良くわからなくて、麓の団地をウロウロとしてしまう羽目に。
更に、道が狭くて結構急坂でした。
レンタカーのD(ドライブモード)では、パワー不足でクルマが登らず、ギアダウンして登りました。
しかも、途中のカーブは曲がり切れず、切り返しも必要でした。
尚且つ、佐久間盛政殿慰霊碑に駐車場は無く路肩に止めましたが、Uターンがまた困難でかなり苦労しました。
と言う事で、北側から登ったとしても、お城のような作りの竹田市役所に車を止めて「徒歩」で向かった方が無難です。

佐久間盛政殿慰霊碑(佐久間盛政の墓)がある場所は下記の地図ポイント地点となります。
一般の墓地も周囲にあるところです。

なお、写真撮影は佐久間家は佐久間家でも、佐久間盛政の子孫様のお墓を撮影してしまったようで、要するに失敗しました。
よって、写真はありません。ごめんなさい。

中川秀成と虎姫とは~周りに惑わされることなくお互いを理解したふたり
佐久間信盛~退き佐久間も最後は追放される運命に
志賀親次と岡城~荒城の月の舞台でもある見事な山城の岡城

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コメント

  1. この記事の画像についてなんですが佐久間盛政がメインなのにあの画像ないんじゃないですかね?もし良かったらhttp://o2.upup.be/f/r/xwz68iWaTJ.pngこの画像に差し替えてください。一佐久間盛政ファンより

    • 高田哲也
    • 2016年 8月 08日

    松葉さま、コメント及びご意見、誠にありがとうございます。
    武将に関しては画像をご紹介するサイトではありませんので、画像はあくまでもイメージとして利用させて頂いております。
    そのため、ご期待に沿えず、深くお詫び申し上げます。
    もし、お勧めできる画像がございましたら、今回のように、コメント欄にどしどして画像のURLを賜りますと、他の皆様もご覧頂く事ができるのではと存じます。

  2. @高田哲也
    そうですか。わかりました。

    • 高田哲也
    • 2016年 8月 08日

    松葉さま、ご理解を賜りまして、恐縮です。ありがとうございます。

    • 佐久間盛政の子孫
    • 2016年 11月 14日

    自分の先祖を調べていたらこちらのサイトに行き着きました。
    このような立派な人が先祖にいると知って誇りに思いました。
    子供にも伝えたいと思います。
    本当にありがとうございました。

    • 高田哲也
    • 2016年 11月 14日

    佐久間盛政の子孫さま、コメントありがとうございます。少しでもご参考になりましたご様子で幸いです。

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