長浜城の歴史と探訪記~琵琶湖の湖畔に残る太閤井戸


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近江・長浜城(ながはまじょう)は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城した城郭です。

1573年、小谷城浅井長政を滅ぼした織田信長は、その功績が大きかった羽柴秀吉(豊臣秀吉)に、浅井家の旧領12万石を与えます。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)は、当時今浜(いまはま)と呼ばれていた場所が交通の要所と考え、新しく城を築く事とし、信長の名を一字拝領して「長浜」と改名しました。

こうして、37歳にて初めて城持ちとなった羽柴秀吉(豊臣秀吉)の長浜城は、1573年に築城が開始されたのですが、資材は小谷城から移築したり、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)に密かに隠していた木材を運搬して築城したとされています。

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古文書でも竹生島の材木を使ったり、築城工事に領民を動員したとありますが、長浜城天守の図面などは残されておらず、現在「豊公園」に建つ天守は、犬山城伏見城を参考にして1983年に模擬復元されたものとなります。
模擬天守の内部は資料館になっており、見学可能ですが、小生が訪問した際にはエアコンの長期工事中で閉館していました。

1576年頃に長浜城は完成したとされており、羽柴秀吉は母・なか、正室・ねね、弟・豊臣秀長などを呼び寄せました。

また、羽柴秀吉は、城下町を小谷城下から移しただけでなく、年貢や諸役を免除したので、長浜には人々が集まり活気づいたそうです。
余りにも集まりすぎたため、方針を変えようとしたようですが、正妻・ねねの助言を受けて、年貢や諸役免除の方針を継続したとされています。
この時の城下町の面影は、現在の長浜市でも見受けられます。
※各写真はクリックすると拡大します。

また、手薄な家臣を充実させるため、旧浅井家の武将などを積極的に家臣に加えました。
その中には、観音寺で見出した石田三成片桐且元、小堀正次(小堀遠州の父)、増田長盛大谷吉継がおり、福島正則加藤清正らも小姓として仕えました。

毛利攻めでは、黒田官兵衛から姫路城を譲り受け居城にした羽柴秀吉ですが、ねね(北政所)など家族は引き続き長浜城にいました。

1582年、本能寺の変で織田信長が横死すると、羽柴秀吉は中国大返しを行い、山崎の戦い明智光秀を破ります。
清洲会議にて羽柴秀吉は長浜城を柴田勝家に譲り、丹波・山城・河内28万石になり、長浜城から去り、山崎城を一時的に本拠としています。
柴田勝家は、甥の柴田勝豊が長浜城主としましたが、1582年末、羽柴秀吉は長浜城を攻撃したため、柴田勝豊は大谷吉継の調略を受けて降伏しています。
そして、1583年、賤ヶ岳の戦いにて柴田勝家に勝利し、天下人へなるべく大阪城の築城を開始したのです。

賤ヶ岳の戦いのあと、長浜城主には山内一豊が2万石にて就任し、掛川城に移るまで6年間在城しました。

1585年11月29日には近江の大地震「天正地震」によって長浜城は全壊し、山内一豊の一人娘・与祢らが亡くなっています。
この時、城下町の半分も焼失したとルイス・フロイスの記録にあります。

1606年、駿府城から内藤信成が6万石にて長浜城主となり、続いて内藤信正が2代目の長浜藩主となりました。
しかし、大坂の陣のあと、1615年に内藤家は摂津・高槻藩に移封されたため、長浜城は廃城となり、彦根藩・井伊家が統治しました。

この時、彦根藩は長浜城の建物などを、彦根城の築城に流用しており、彦根城の天秤櫓は、長浜城から移築したとの伝承があります。

他に移築されたものとしては、長浜・大通寺の台所門が長浜城の大手門、長浜・知善院の表門が長浜城の搦手門だとされています。

そのため、現在の長浜城の遺構としては、僅かな石垣と、琵琶湖湖畔の「太閤井戸」のみとなっています。

なお、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城する以前には、今浜砦があったとされ、最初に築いたのは「バサラ大名」として知られる京極道誉(佐々木高家)とされます。
その後、今浜砦(今浜城)には家臣の今浜氏・上坂氏などが在城したと言われていてます。

長浜城跡は現在「豊公園」になっています。
JR北陸本線の長浜駅からだと、約300m、徒歩3分と至近で便利です。
駐車場の入口は、南東側の「港町」交差点からとなります。
下記の地図ポイント地点が、無料駐車場の場所となります。

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