長篠城 武田と徳川が奪い合った激戦地の訪問記・写真集


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 長篠城(ながしのしろ)は、豊川と宇連川の合流部である切り立った川岸の上に築かれた平城です。

 2つの川が合流する場所は、突き出ており、その断崖絶壁の上にあるかたちになっています。
 要するに天然の要害ですね。

 

 しかし、北側は台地で防御が弱かったので、大きな堀などを巡らせていたようです。

 

 1508年に、今川氏親に臣従した菅沼元成が築城しました。

 

 桶狭間の戦いで、織田信長今川義元を破ると、徳川家康に服属しています。

 

 1571年、武田信玄による三河侵攻が始まると、最初は天野景貫が長篠城を攻めました。

 

 この時、双方犠牲は大きかったようですが、陥落しなかったため、その後、武田軍の先遣・秋山虎繁(秋山信友)が、菅沼総領家である田峯菅沼氏を懐柔したため、長篠城主・菅沼正貞も、本家に同調して武田信玄の靡下に入りました。

 

 1573年、武田信玄は野田城攻めを行いますが、本国へ撤退する中で死去。

 

 それを知った徳川家康は1573年7月末に長篠城を攻撃し、菅沼正貞は8月に開城して退去し、武田信豊の軍に合流。

 

 その後、菅沼正貞は徳川家への内応を疑われ、小諸城に幽閉されています。

 

 徳川家康は、武田勢の侵攻に備えて、長篠城を拡張工事し、大規模な土塁などを築きました。

 

 1575年1月、徳川家に復帰した奥平信昌に500の兵にて長篠城を守らせると、1575年5月、武田勝頼が長篠城奪還のため15000を率いて長篠城を包囲します。

 

 そして、長篠の戦い(設楽原の戦い)へと発展しました。

 

 詳しくは下記の2つをご覧願います。

 →長篠城の戦い
 →設楽原の戦い

 この時、長篠城は、武田勢が堀を埋めるなどし大きく損壊したことから、奥平信昌は1576年に新城城を築城し、長篠城は廃城となっています。

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長篠城へのアクセス

 長篠城への行き方は、JR飯田線長篠城駅で下車、徒歩約8分。
 車の場合は、下記の地図ポイント地点が無料駐車場のある場所となる。
 城内に長篠城址史跡保存館があるので、設楽原歴史資料館と合わせて見学したい。

 

 →野田城はこちら
 →おつやの方と秋山虎繁(秋山信友)~織田家に処刑された命運

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