成瀬城と小山田弥三郎の関係を考えてみる【戦国の小山田氏考察】


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成瀬城(東京都町田市)は、平安末期から鎌倉初期に、成瀬を所領とした横山党の鳴瀬四郎太郎の居館があったと推測されます。
1213年、和田義盛の乱で横山党のほとんどは討死し、没落しましたので、そのあとの時代に、成瀬城として改修されたのと推測致します。

成瀬城(なるせじょう)の発掘調査では、井戸跡の他、鉄砲玉も出土したそうですので、戦国時代に入ると、北条家の家臣が居城としていた可能性もあります。
1559年の小田原衆所領役帳には、成瀬や小山田庄靏間(16貫272文)など16村に合計419貫812文として小山田弥三郎の名がみられます。
小山田庄靏間の靏間は「つるま」と呼びますので、町田の鶴間は小山田氏の領地だったと推定できます。
ただし、この小山田弥三郎は「他国衆」と記載されております。

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武田信玄の重臣・小山田信茂の兄も「弥三郎」を称している事から、小山田弥三郎は武田に従っている郡内・小山田弥三郎信有(小山田信茂の兄)だとする説があります。
北条家が武田の小山田家を取りこもうとし、領地を与えたとも、武田と北条の取次役に報いる為でもあるともされています。

しかし、小山田家の発祥の地「小山田城」と、成瀬城の位置関係、そして、南北朝時代の町田の小山田家の動向を考慮しますと、私見的には成瀬を知行した北条家臣・小山田弥三郎は、小山田氏の本流と推測致します。
そもそも「弥三郎」と言う名は小山田氏の当主であることを主張する通称です。ちなみに、武田重臣の小山田信茂は元々次男でしたので、弥五郎を称していました。

それを裏返せば、町田には南北朝時代の頃にも、本流の小山田家がもうちょっと北の方で、細々と存続していたようですので滅亡している訳では無く、郡内の小山田信茂とは違う本流の小山田家が、戦国時代になって本流を示すため小山田弥三郎と称しても、なんらおかしくありません。
当然ながら、北条家の家臣となった訳でして、小山田弥三郎と称していたと推定できるのではないでしょうか?

ちなみに、北条家で400貫文だと軍役は、騎馬武者が13、鉄砲が最低4挺、弓足軽1、槍24人となりますので、武者だけで80名くらい、農兵も入れると320名くらいの部隊を小山田弥三郎は率いたと推測致します。
それを考えると、成瀬城の発掘調査で鉄砲玉の1個や2個、発見されたと聞いても、驚きません。

でも、北条家の方針としては、他国衆はできる限り事実上の滅亡に追い込み、家臣団に吸収していますので、滝山城の大石家よりも独立性の弱かった小山田弥三郎の小山田家は、次第に北条氏照に取りこまれ、姿を消していったものと小生は考えます。
仮に、本当に北条家が小山田氏に知行を与えていたとするならば、小山田氏に「いつでも寝返っていいですよ」と言う合図、もしくは武田家の結束を揺さぶる狙いがあったように思えます。

成瀬城

成瀬城は成瀬街道の抑えでもあり、恩田川沿いにあるちょっとした高台に位置しており「要害」と呼べます。
武田滅亡後に、成瀬の小山田弥三郎を頼ったのか?、成瀬周辺には武田旧臣の子孫も多いらしいです。
また、城山公園の南東約1kmの経塚からは武運長久と息災延命を祈願した、1535年11月、四条彦次郎と言う銘の経筒が出土しており、ちっょと古い北条氏綱時代の成瀬城主だったのではとも推定されています。

空濠・土塁・櫓台などの城郭遺構がありましたが、周辺の宅地化が進み、現在は城郭の一部が城山公園と言う児童公園になっています。

各写真はクリックすると拡大します。
この児童公園は、町田市がここに城跡があったと気付き、造成工事を辞めさせてかろうじて残された遺構だと言い、井戸跡も発見されています。

なお、城山公園の南西数百mの場所は、根小屋と呼ばれていたそうですので、それを考慮すると、成瀬城はそれなりに大きかったとも考えられます。

朝鮮学校の東にある松葉公園(横浜線が貫通している)が、戦国時代の本郭だったのではと言う説もあるそうです。

成瀬城への行き方・アクセス

成瀬城の石碑がある城山公園は下記の地図ポイント地点となります。
見学所要時間は5分~10分といったところです。
小さな公園ですので、駐車場はありませんが、下記の地図ポイント地点の付近の道路は駐車禁止では無いので、短時間のあいだ、車を止める事は可能です。
ご近所にお住まいの方の迷惑にならないように止めましょう。

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