小田原城とは~戦国時代の北条家遺構と総構え、江戸時代の遺構 訪問記(追加)


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 小田原城は、北条早雲が奪ってから、北条氏康の時代に、上杉謙信、そして武田信玄の大軍をもっても陥落しなかった名城ですが、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めでは、20万の大軍に包囲され、北条家が降伏したのは皆様良くご存じの所だと思います。

 そんな小田原城ですが、現在、天守閣がある城域は、徳川家康が関東を与えられてから、江戸時代に整備された部分でして、戦国時代の北条家は、実は別の場所を「小田原城」としていました。

 その戦国の古い時代の小田原城遺構をちょっと見て参りましたので、最新の発掘によりわかった新しい解釈も踏まえて、ご紹介させて頂こうと存じます。

北条家の小田原城は違う場所にあった

 小田原市がこれまで発掘調査し、出土した茶碗や銭などの遺物の年代から、戦国時代の小田原城は、現在天守閣がある場所では無く、新幹線より北西側となる、小高い丘上にあったことが判明しています。
 すなわち、1495年頃に、伊豆の北条早雲が、大森藤頼から小田原城を奪った際には、この小高い丘の上が小田原城であったと推定されています。
 下記のYahoo!地図をご覧頂けると、わかりやすいですかね?

 小田原高校がある場所の周りが山の上でして、東曲輪、本曲輪、西曲輪、藤原平、毒榎平と連なる連郭式の平山城であったことが分かります。
 ただ、現在は住宅地になってしまっており、良好な遺構は残っていないため、明確にはどこが本丸だったのか?は、古い小田原城(八幡山古郭)の中から、特定には至っていないようです。
 小田原高校は標高69mくらい。城山陸上競技場で標高71mくらいですね。
 上記地図を見る限りは、競技場の場所と、小田原高校の付近の「城山3」とある場所が本丸だったとも推測はできます。
 だいたい標高80mくらいの丘で、そこに現在、何があるのか調べて見ましたら「小峰配水所」があるそうです。ボッチをつけておいた場所です。
 すなわち、この付近に水道を供給するのに、一番高所のところと言えるでしょうから、恐らくはこの場所が、古い時代の小田原城の本丸だったと私は考えております。
 西側の蓮船寺の脇には、南北に延びる大きな線がありますが、これは大堀切です。地形図でも明確にわかりますね。
 あと、小田原高校の校舎と東側のグランドの間には2002年の発掘で「障子掘」があったことも分かっています。(現在は埋め戻されている)

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 しかし、実際問題、戦う場合でも、平時の政務でも、この本丸の場所は、あくまで遠望が利く監視所のような役割でして、敵が攻めて来た際には城山陸上競技場や、小田原高校、城山中、城南中、そして現在天守閣がある小田原城の郭にも兵を配置して、防御を固めたものと推測致します。
 小田原駅にほど近い城山中の場所は「八幡曲輪」だったと伝わっており、小田原高校が「藤原平」、「鍛冶曲輪」は城山庭球場、「毒榎平」は貯水池となっているそうです。
 そして、城山3丁目の13番地~15番地の段丘部分が「旧本丸」と言われているのですが、ここですと背後の山の方が標高がありますので、かなり昔の時代の本丸、すなわち大森氏が治めていた頃の本丸のような気がいたします。
 そのように考えますと、北条氏が小田原城を改修する度に、本丸も更に標高が高い所へと、何度か移ったような気も致しますし、どこが最重要拠点の本丸と言う事はなかったのかも知れません。
 敵に攻め込まれた際、残すところが本丸だけと言う状況にまでなると、ほぼ敗北するしかないので、築城上手な北条家の考えからだと、連郭全体で守ろうと言う意識があったのかな?と感じずにいられません。
 
 

 上記写真は、公園化された八幡山古郭東曲輪です。
 山の斜面に高層マンションが建設される予定地だったと聞きますが、小田原市が買い取ったようです。
 各写真はクリックすると拡大します。

 

 上記はその旧本丸があったとされる丘を東曲輪から撮影したものです。

 

 上記は八幡山古郭東曲輪から撮影した現在の小田原城方面の展望です。
 江戸時代には向こう側が小田原城の本郭となりました。
 不便な山に城はもう不要となった平和な時代ですからね。

 

 上記は小田原高校脇の本曲輪高台土塁です。写真ではわかりにくいと思いますが・・。
 そして、特筆すべき点は、Yahoo!地図で「小田原城山サニーハイツ2」とある近くに、現在、神奈川工科大学の工房が建っているのですが、そこから巨大な障子掘が2005年に発掘調査されていることです。
 現在はもう埋め戻されていますので、こちらのサイト様の写真などをご覧ください。
 
 小田原高校のグランドなど、このように小田原城にも障子掘があったことは驚きです。
 恐らくは、豊臣秀吉に対抗する為、だいぶ後になってから改修されたものと推測致しますが、北条家の築城能力の高さを改めて思い知らされます。
 戦国時代の関東の城には石垣はほとんど用いられなかったと言うのに、2011年の調査では小田原城の障子掘に「石垣」も用いられていた事が確認されたと言う事です。

 更に奥部を見る為に、再訪して参りましたので、写真などを追加致します。

 

 城山の西端部にある巨大な土塁です。

 

 

 上記の写真は2枚は、小田原城最大の大堀切です。

 

 上記はその大堀切を端っこから撮影したものです。
 ずっと向こうまで続いている、大規模な堀切ですね。

 

 

 上記のように、山の上には、古い小田原城の曲輪跡などもたくさんあるのです。

現在の小田原城域に北条家の屋敷があった?

 小田原城天守閣の北側に「御用米曲輪」があり、大規模な発掘調査が行われています。
 
 

 新しい発見としては、礎石建物跡と庭状遺構が見つかりました。
 これは非常に興味をそそります。
 江戸時代には米を備蓄する広場として使われていたところの地面の下から、屋敷の跡と庭園の跡が発見されたのです。
 すなわち、江戸時代より古い遺構です。
 また、小田原市によると、このような屋敷と庭園は、大友氏遺跡の大友氏館跡・大内氏遺跡の大内館跡・阿波細川氏の勝瑞城館跡・越前朝倉氏の一乗谷朝倉氏関連遺跡など、大名レベルの居館遺構にも相当すると言います。
 となると、北条家の北条氏康北条氏政北条氏直など当主が普段生活したり、来客を接待したりした屋敷は、山手ではなくこの御用米曲輪の低地部にあったと考えられるのです。
 1558年に、小田原に入った古河公方足利義氏が宿泊した北条氏康の館には、会所・寝殿もあると言う規模が大きい館だったと言いますので、それがこの御用米曲輪だった可能性も出てきました。
 なお、遺構はその後、土の中に埋め戻すとの事ですので、見れるのは今だけですね。

 とにかく、北条家の2代・北条氏綱以降、豊臣秀吉の攻撃を受けるまで、小田原城は約100年間、常に改修工事を行っており、どんどん拡大して行きました。

 

 上記が小田原城の総構えです。その広さは、大阪城の総構えといい勝負なのですね。
 と言うより、豊臣秀吉は、石垣山城からこの小田原城の総構え見て、自分の大阪城にも導入しましたので、1590年の小田原攻め当時では、日本で最大の城域を誇っていたと言って良いでしょう。
 

江戸時代からの小田原城

 徳川家康が江戸城に入ると、小田原城主になったのは大久保忠世です。
 45000石で小田原藩となった訳ですが、その時から、丘の上にあった小田原城を、現在の場所に新しく築城開始したものと考えられます。
 徳川家康が関東の城で「天守閣」を許したのは、江戸城以外では、小田原城だけでした。
 しかし、広大な総構の城域はかなり縮小されました。
 また、大久保忠世の子・大久保忠隣が、1614年の大久保長安事件に連座して改易となると、小田原城の二の丸・三の丸の石垣・城門が破却されたと言います。
 でも、1657年に江戸城の天守が焼失した後は、江戸城には天守が再建されていませんので、明治に廃城を迎えるまで、小田原城の天守は関東唯一の天守となったのです。

 

 

 ただ、上記の現在の天守閣は復興天守でして、完全なコンクリートの建物なのですね。
 その為、より本物に近い木造の天守に立て直そうと言う動きもあるようです。

 その他、現在の小田原城の写真なども下記にまとめてありますので、よければ合わせてご覧頂けますと幸いです。

小田原駅から近い、北条氏政・北条氏照の墓
江戸時代以降の小田原城訪問記・写真集
早雲寺~北条5代の墓がある北条家菩提寺【箱根湯本】
北条氏綱とは~関東進出の基盤を作った政治力ある小田原城主
北条幻庵~実は文武両道の名将である北条家の長老と北条幻庵屋敷跡

 

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