奥山親朝とは~奥山朝利と娘・しの【井伊家一族】奥山六左衛門と奥山孫一郎も


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井伊直虎や20代・井伊直政の井伊一族に「奥山家」(奥山氏)(浜松市北区引佐町奥山)がいる。

井伊谷庄を本貫とする井伊家(本家)の8代・井伊盛直の子から分家ができ、子の井伊俊直が赤佐氏を称し赤佐俊直、その曾孫である赤佐朝清が遠江国引佐郡奥山郷(奥山城)を領して、奥山朝清と称したことが始まりである。
1384年には後醍醐天皇の子で、中国の元に渡って帰国し、各地を回っていた無文元選が奥山朝藤の寄進を受けて「奥山方広寺」を創建した。

ちなみに、同じ8代・井伊盛直の子である井伊政直は貫名氏(袋井市貫名)を称しているが、この貫名家からは日蓮宗の宗祖となった日蓮(1222年~1282年)が輩出されている。

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戦国時代の奥山家武将

1544年の暮れに、次郎法師(井伊直虎)の婚約者であった井伊亀之丞(井伊直親)が、命を狙われて信濃・伊那の松源寺に逃れた。
その後、奥山親朝の子である奥山朝利(奥山因幡守朝利)の娘が井伊直親の正室になっている。
※この娘は、奥山親朝の娘(奥山朝利の姉妹)とする説もある。
この奥山朝利は井伊直政の外祖父にあたるが、1544年に死去している。

奥山朝利(おくやま-ともとし)の男子は嫡男・奥山朝宗、次男・奥山朝重、3男・奥山朝家。

特に奥山朝忠(奥山六左衛門)は1568年?に井伊家の菩提寺・龍潭寺に匿われていた幼少の井伊直政や井伊直虎の命を、更に井伊家臣・小野政次が狙ったため、南渓瑞聞和尚が奥山朝忠に命じて、井伊直政を三河の鳳来寺まで逃亡させた。
その後、1580年に徳川家康の命もあり、奥山家は井伊直政の家臣に加わり、奥山朝忠は1500石となっている。
奥山朝忠は1629年に没した。
子は奥山朝久。
 
次男・奥山朝重の子は奥山朝正→奥山朝長と続いている。
 
3男・奥山朝家の子は奥山朝房→奥山朝次と続いた。

また、もう1人の奥山朝利の娘が、井伊谷三人衆のひとり鈴木重時の正室になっている。

下記の写真は、龍潭寺にある奥山家の墓。
奥山親朝の墓、奥山朝利の墓、奥山朝宗の墓と記されている。

奥山孫一郎

奥山朝利の子とされる奥山孫一郎(おくやま-まごいちろう)は、父と共に桶狭間の戦いに参陣している。
ただし、奥山朝利の庶子だったのか?、嫡男などには名を連ねていないため、親族・一族だった可能性もある。
敗戦を悟った井伊直盛に命じられて、解釈をしたとされており、首を井伊谷に持ち帰ったとも・・。
家老・中野信濃守(しなののかみ)が、井伊「信濃守」の官命を継承して、井伊谷城を預かるようにと、井伊直盛の遺言を伝えた。

井伊直政の母・奥山朝利の娘(奥山親朝の娘)

1555年に井伊直親が遠江に戻ると奥山朝利の娘(奥山親朝の娘とも?)は結婚し、桶狭間の戦いのあと、1561年2月19日に、井伊直親の嫡男となる井伊虎松(井伊直政)を産んだ。

しかし、1562年12月14日に夫・井伊直親が掛川城下にて横死すると井伊虎松と共に新野親矩に匿われた。
そのよき理解者であった新野親矩も1563年に討死すると、井伊家の菩提寺である龍潭寺の住職でもあり、井伊一族でもある南渓瑞聞が井伊直政(虎松、万千代)と奥山朝利の娘を寺に匿う。

それでも、井伊家をおとしめようとする小野道好(小野但馬守)が、執拗に虎松らの命を狙った為、南渓瑞聞は奥山朝忠(奥山親利の子)に命じて、井伊直政らを三河・鳳来寺へと移動させた。

その鳳来寺も危うくなると、万千代(井伊直政)の生母・奥山親朝(奥山朝利)の娘は、自らが今川家臣・松下清景(松下源太郎)と再婚することで、万千代(井伊直政)も松下姓を名乗らせて、我が子の身を守った。

諌言をはたらいた小野道好(小野但馬守)が獄門に処せられた後は、井伊家の再興をはかる井伊直虎の説得に応じて、子の井伊直政を井伊直虎の養子に差し出すと言う英断をし、その後、井伊直政が徳川家康のもとで大出世する道を切り開いた。

NHKの2017年大河ドラマ「おんな城主・直虎」で、貫地谷しほりさんが演じる「しの」(奥山朝利の娘)は、1585年に、再嫁先である浜松の松下源太郎の屋敷で没したとされている。
なお、奥山親朝の娘(奥山朝利の娘)の名は「ひよ」とする文書もあると言う。

奥山館跡と奥山城

奥山には、平時に住んだと考えられる奥山館跡と、有事の際に籠ったとみられる奥山城がある。

下記は奥山館跡で、ちょっとした小高い丘となっていたが、上部はミカン畑となっている模様だ。

奥山城は、有名な奥山方広寺の裏山となり、城跡の半分はすでに破壊されているようで、見学には適さないと推測される。

それそれの場所は、当方作成のオリジナルGoogleマップにて、場所を印させて頂いているので、よければご参照願いたい。

井伊谷や直虎ゆかりの観光スポット・Googleオリジナル地図

もう1つの奥山家

同じ奥山家から枝分かれした駿河・高根城主(久頭郷城主)・奥山貞益が同じ戦国時代にいる。
奥山貞益の弟・奥山定茂(2男)は水巻城主、奥山定吉(3男)は大洞若子城主、奥山定友(4男)は小川城主であったが兄弟仲は悪かったようだ。

奥山貞益は1569年、信濃の遠山景直(遠山土佐守景直)に攻められて落城・討死。

1572年10月に武田信玄が大軍を率いて攻め入ると、武田勢に寝返り、本領安堵され、奥山定吉(3男)の子である奥山吉兼が、のちに徳川家の家臣となり、子孫は井伊直政に仕えている。

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