太田牛一~戦国時代の武将で信長公記の著者


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 太田牛一は1572年に尾張国春日井郡山田荘安食村(名古屋市北区)にて生まれたが、出自は不詳で土豪の家に生まれたと推定されている。
 太田牛一の読み方は、おおたぎゅういち/うしかず/ごいち、と諸説ある。

 若い頃は出家して尾張・成願寺に入っていたが、学識が高かったようで、斯波義統の家臣として還俗した。

 1554年7月12日に斯波義統が殺害されると、遺児の斯波義銀が那古野城主・織田信長を頼ったため、この時、同行したとみられ、柴田勝家に足軽として仕えた。

 1554年7月18日、斯波義統の弔い合戦とも言える安食の戦いにさっそく参戦すると、弓の腕を認められて、織田信長の直臣に加わる。
 弓3人鑓3人「六人衆」の一員になっており近侍衆として仕えた。

 1564年、斎藤龍興の堂洞城攻めでは、二の丸の門近くにある建物の屋根に登って、高所から弓を放ち活躍したことから、加増された。
 その後は近習の書記となり、安土城下でも屋敷を与えられ、官僚(吏僚)として活躍。

 1569年から1582年にかけては、丹羽長秀の与力となり寺社奉行的な、京の寺社との行政・交渉を担当した。
 1581年までは太田信定とも名乗っている。

 明智光秀による本能寺の変後のあとには、丹羽長秀に2000石にて家臣に加わり、柴田勝家との戦いにも坂本城から参戦。
 1585年に丹羽長秀が死去したあとは、丹羽長重に加賀の松任にて仕えたが、公務は子に譲って一時隠居した。

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 その後、1587年に豊臣秀吉に召し出され、洛南の行政官僚として復帰すると、再び寺社行政の他、山城国加茂六郷の検地も担当している。

 1588年には淀城を拠点に南山城と近江国浅井郡の代官も兼任した。

 1590年、朝鮮攻めの準備として、肥前の名護屋城に従軍すると、道中の人足や馬を配分する奉行を担当し、名護屋城の建築工事の差配も担当した。

 1592年、文禄の役では名護屋城の留守番衆を務め、1594年に大阪の屋敷に戻った。

 1596年5月9日、豊臣秀頼の初上洛にお供すると、後陽成天皇に「太閤御代度々御進発之記」を献上している。

 1598年3月15日、醍醐の花見では豊臣秀吉の側室・三の丸殿(織田信長の6娘)の警護を行った。

 1598年3月17日、醍醐寺三宝院で門跡・義演から、織田信長から豊臣秀頼までの記録を書いたと紹介され一部暗誦もしている。

 1598年9月18日、豊臣秀吉が死去すると、豊臣秀頼に仕えた。

 1601年年には「関ヶ原合戦双紙」を徳川家康に献上し、11月7日、中井宗茂にも進上している。

 1606年、南禅寺金地院の河内真観寺領の代官に任命された。

 1607年頃「関ヶ原合戦双紙」の奥書で自分の著作をまとめ「五代之軍記」と名付けた。

 1611年3月28日、豊臣秀頼と徳川家康京都二条城での会見にも供奉。

 80代のとき、カゼの症状で重体となったが、のち回復。
 隠居しないまま大坂玉造の屋敷にて、1613年に病死した。

 記録の作者として優れた人物で、織田信長・豊臣秀吉・豊臣秀次、豊臣秀頼、徳川家康の軍記・伝記を数多く著述したが、長篠の戦いの詳細などもある織田信長の一代記である「信長公記」が、第一級史料として特に有名である。

 織田信長の侍女から本能寺の変の際の、織田信長の最後の言葉の聞き取りでは「是非に及ばず」とあり「天が命じたことなら致し方がない」と解釈されている。

 
 現代語訳 信長公記

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コメント

    • しげ
    • 2015年 6月 10日

    「信長の棺」という太田牛一を主人公にした小説があります。

    本能寺の変の謎をはじめ様々な謎を解き明かす鍵になるかもしれません。

    私も読んだのは中学の時なので細かいところは忘れていますが一度読んでみてはいかかでしょうか?

    • 高田哲也
    • 2015年 6月 11日

    しげさん、いつもコメントありがとうございます。
    太田牛一は、今度の歴史秘話ヒストリアの題材なようです。
    小説があるとは存じ上げませんでした。時間があれば、是非、拝読したいなと思います。

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