逆井城(飯沼城)のみどころ~櫓門、橋、塀、主殿、二層櫓などが復元


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 江戸時代の新田開発(干拓)により湖水こそなくなったが、逆井城(さかさいじょう)は南北30km、東西1kmを誇った飯沼の中央でカギ形にカーブする所の標高20mの台地先端にあり、城の北側は飯沼が洗い、西側は入り江の蓮沼に接していた。

 逆井城跡公園下野・祗園城主である小山義政の5男・小山常宗が逆井の地を知行して逆井氏を称し逆井古城を築いたとされている。
 小山常宗の孫にあたる小山常繁(小山右衛門四郎常繁)は古河公方に仕えていた。
 1536年3月3日、北条氏康の命を受けた北条勢・大道寺盛昌の攻撃により小山常繁は討死し逆井城は落城したと言われるが、当時北条氏の勢力がここまで伸びていたとは考えにくく疑問は残る。(諸説有)
 小山常繁の妻・智御前(娘とも?智姫)は先祖伝来の釣鐘をかぶり城内の金掘池に入水したとの伝承が残る。後世この鐘を探そうと何人もの人が池を掘り返したことから「鐘掘り池」と呼ばれ、今も空掘の中にあり、水を湛えているのが望める。

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 戦国時代後期、小田原北条氏の最前線城では「乱波」「素波」「草」と言われた忍者の夜間襲撃が盛んにあり、最前線の城では不寝番が置かれ、臨戦時には、空堀に枯木などを積み上げて、夜中に松明を投げ入れて明かりを灯し、忍者の侵入を警戒したと言う。

 関八州古戦録によれば、北条氏政は1574年(1571年とも)伊勢貞運(伊勢備中守貞運)に命じて弓田城(竜ヶ谷城)を補強。弓田城より風魔小太郎の子・風魔孫右衛門など北条忍者集団300人を逆井城に入れて、多賀谷攻めの本拠にしたとある。逆井城が実際に北条氏の配下になったのは1570年頃だとする説もある。
 1575年北条氏政は小山城を攻略し、古河御所周辺を足掛かりとして関東北・東部の経営に乗り出している。
 逆井城を確保した小田原北条氏は玉縄城主・北条氏繁が城主を兼任し、1577年10月には神奈川県藤沢より大鋸引森木工助ら鋸曳き職人らを呼び寄せて大規模な改修工事を行った。石垣こそ採用していないが、当時最新の技術で築城された約500m四方の壮大で堅固な城郭となり、飯沼城と呼んだようだ。

 南方3.8kmの地点には出城としての駒寄城があり、水運も利用したようだ。
 常陸・佐竹氏とはこの飯沼を挟んで国境となり、いわざ最前線基地であり、1578年、北条氏繁はこの飯沼城で没したあとも、子である北条氏舜、北条氏勝が飯沼城主を兼任して、佐竹氏・結城氏・宇都宮氏・多賀谷氏多賀谷氏らと対峙した。
 1590年、豊臣秀吉小田原攻めにより北条滅亡後は廃城となった。

 逆井氏が築いた古逆井城の遺構と、北条氏繁の飯沼城の遺構が重なると言う珍しい逆井城。
 現在は発掘調査され逆井城跡公園として、戦国時代初期~中期の城を時代考証をしっかりし、できる限り忠実に復元している事は大変評価できる。
 石垣を採用していない土塁や2層櫓・平櫓・井楼矢倉・城壁が復元整備されており、戦国初期の城をイメージできる貴重な場所なので是非1度訪れて欲しい。

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