佐奈田義忠(佐奈田与一)と相模・真田城の訪問記~大森藤頼自刃の地?


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佐奈田義忠(さなだ-よしただ)は、岡崎義実(岡崎四郎義実)の子として1155年に誕生しました。

岡崎義実(岡崎四郎義実)は、源頼朝の挙兵にも従い、1180年8月23日、石橋山の戦いでも果敢に戦った武将ですが、その嫡男の佐奈田義忠(真田義忠、岡崎義忠、佐奈田与一)も父と共に夜間の乱戦を戦いました。
俣野景久と壮絶な組打ちをしますが、血のりで手がすべり、長尾新五の弟・長尾新六の首を取られました。
家臣の文三家安も奮戦しましたが、稲毛重成の手勢に討たれています。

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これらの話は、石橋山の戦いのページにて詳しく掲載させて頂いております。

さて、そんな佐奈田義忠(佐奈田与一)が城主を務めたのが相模・真田城です。
まさに、真田氏発祥地とも言える場所です。

鎌倉期の真田城は、現在の天徳寺境内と此定されています。

その後、しばらく、真田城は使われなかったようです。

しかし、1495年頃に伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原城を奪取すると、逃亡した大森藤頼は、岡崎城主・三浦道寸を頼って真田古城(実田城)に入り、改修したともあります。

ただし、1498年頃には、伊勢宗瑞(北条早雲)によって真田城は陥落しました。
この時、大森藤頼は自刃したとも言われています。(諸説あり)

1504年には、両上杉氏による真田合戦(真田城の戦い)となり、真田城は落城・廃城になった模様です。

その後、戦国時代の1574年に、鈴木隼人なる北条家の家臣が天徳寺を創建しました。

天得寺の山門を入ってすぐ左手に進むと、一段高くなったところに与一堂(眞田明神)があります。

その場所が一番高い所で、標高30m。
麓の田んぼとの比高で15mとなります。

本堂の裏手辺りに土塁があるとの話があったのですが、確認はできませんでした。
もしかしたら、かなり低い土塁となってしまっているのかも?知れません。
周辺は土地区画整備が進み、真新しい住宅も建設しているように開発が進んでいる場所でした。

天徳寺の場所ですが、下記の地図ポイント地点となります。
境内の檀家さん用駐車場を拝借させて頂きました。御礼申し上げます。

真田発祥の地はココ~間違えてはいけない真田氏発祥
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