真田信尹とは~真田家とはちょっと別の道を歩むも大きく関与した真田一族


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 真田信尹(さなだのぶただ)は、真田幸隆の4男として1547年?に誕生した。真田信昌とも称している。
 母は正室・河原隆正の妹・恭雲院

 兄に真田信綱真田昌輝真田昌幸がいる。
 なお、真田昌幸と歳が同じであることから、母は側室だったとする説や、双子だったと言う説もある。

 1551年に父・真田幸隆が砥石城攻めで功を挙げると、真田の里に復帰。
 そして7歳のとき、1553年8月10日に兄・真田昌幸と同じく、人質として甲府にいた模様だ。

 その後、武田信玄の命により甲斐の旧族である加津野昌世の養子となり、名門・加津野氏(和野氏、鹿角氏)を継ぐと加津野信昌(加津野市右衛門信昌)と称した。
 この加津野家は勝沼氏の親戚であり「信玄代惣人数書上」では馬10騎、足軽10人を率いた槍奉行とされており、信州先方衆として活躍。
 甲陽軍鑑では安西平左衛門・今福昌常(今福新右衛門昌常)らと槍奉行3人衆として見られる。

 なお、正室は馬場信春の娘(馬場殿)で、子には真田幸政などを設けた。

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 1571年1月に深沢城(静岡県御殿場市深沢)の北条綱成を攻めた際には「地黄八幡」の旗を奪うなど武功を挙げた。
 この時の「黄八幡」の旗は、上田市の真田宝物館に残されている。

 また、真田昌幸と同じく竜朱印状の奉者を務めており、1579年6月25日付の二宮神主宛の居屋敷諸役免許状などに名が見られる。

 1582年3月、天目山の戦い武田勝頼が討死したあとは、真田姓に戻って諱を「信尹」(真田隠岐守信尹)と改名した。

 その後は、一旦上田城に入るも真田昌幸らとは別行動を取っている。
 北信濃においては牧之島城にて上杉勢に味方すると見せかけて、北条氏直に従うよう山田右近尉などを調略するも、露見して追放されている。
 その後、北条氏直に仕えたが、1584年には5000石として徳川家康の家臣となって落ち着いた。
 ただ、これらの別行動は、真田昌幸が他国の情報を得る為、わざと弟・真田信尹にその役目を行わせたとも考えられ、もちろん真田家じたいの生き残り策り1つとも受け取れる。

 真田昌幸が北条家から徳川家に寝返った際には、依田信蕃と共に仲介役も果たし、徳川家から50両の恩賞金も受け取った。

 徳川家中では使い番として、甲斐国巨摩郡内に3000石となり大蔵村(須玉町大蔵)に屋敷を構えた。

 その後、加増されて10000石となったが「それだけの働きをしていない」として浪人する。
 一説に豊臣秀吉小田原攻めにて江戸城の無血開城の功績を立てたが、その恩賞に不満を持って出奔したともある。

 その後、池田輝政を介して会津の蒲生氏郷に5000石で仕えると九戸政実の乱にも出陣した。
 この時、旧武田家臣曽根昌世も共に会津に入ったとされる。
 しかし、1595年に蒲生氏郷が死去すると蒲生騒動となったため、1598年に徳川家康に再び仕えて、甲斐に4000石を与えられている。

 1600年の関ヶ原の戦いでは、徳川家康本隊の使番として参戦。

 1614年、大坂の陣では徳川勢の御使番・軍使として活躍。
 この時、徳川家康は本多正純を通じて、真田信尹に大阪城に籠城する真田幸村への工作を命じており、最後には信濃一国を与えると言い勧誘したとされる。
 また、真田幸村の首実検の確認を行ったのは信尹であるとする話が伝わる。

 このように大阪の陣では、実戦経験がある貴重な武将として功績を挙げ、1200石加増されて5200石ともある。

 その後も幕臣として徳川家に仕え、1632年5月4日に病死。享年86。

 

 墓所は領地である北杜市長坂町にある曹洞宗徳雲山龍岸寺

 遺領は3000意思を嫡男・真田幸政が継ぎ、次男・真田信勝は1000石を分地した。
 その後も代々旗本として幕府に仕え、子孫は4つの系統に分かれたあと、2家が現在存続している。

と言う事で、龍岸寺にも行って参りました。よろしければ写真などご覧ください。
山田右近尉~北信濃の武将と真田家の関係
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