宝心妙樹と千利休の嫡男・千道安


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 千利休の先妻・宝心妙樹(ほうしんみょうじゅ)は生年・本名不詳。
 名はお稲で、飯盛山城主・三好長慶の妹とされる。

 1542年頃に、千利休へ嫁ぎ、長男・千道安、長女、次女、3女、4女を設けている。
 しかし、夫婦仲は円満ではなかったと伝わる。
 1577年7月16日に死去。

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 長男・千道安は「剛・動の茶」と呼ばれたほど自我が強烈で他人に耳を貸さず、偏屈な人柄もあって恵まれた人生ではなかった。
 千利休とは折り合いが悪く、若い頃に家を出たが、のちに千利休と和解。
 1587年の有名な北野大茶会では、千利休の次に千道安の名が見られ、千利休としても嫡男である千道安を後継者として考えていたようである。

 千利休切腹後は蟄居・謹慎を命じられ、金森長近に預けられたとされるが、1594年に許されると堺に戻り、堺千家を再考した。
 1601年には細川忠興に招かれて茶頭となり、豊前水崎に300石を拝領。
 1607年に死去すると堺千家は断絶した。


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