連載:戦国未来の古文書お気軽読み 第22回 『新撰長禄寛正記』「日蓮上人由来之事」


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古文書に魅了されて早うん年の戦国未来(せんごくミク)と申します。

今回ご紹介するのは、『新撰長禄寛正記』より「日蓮上人由来の事」です。

『新撰長禄寛正記』は、長禄・寛正年間(1457‐1466)の畠山氏の家督継承問題を記録した古文書です。

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この「日蓮上人由来の事」は、日蓮の家について書かれた記述ですが、井伊家について書かれた(現時点で発見されている史料の中で)最も古いものだそうです。とはいえ、井伊家の歴史ではなく、貫名氏の歴史ですので、藤原共資の次は井伊盛直に飛びます。

では、早速、「日蓮上人由来の事」について読んでみましょう。

【未来のお気軽訳】 日蓮上人由来の事

伊勢貞親(1417-1473)もその場に居合わせていて、日蓮上人についてお尋ねになられると、「鍋かぶり上人」こと日親上人(1407-1488)が申されるには、「聞きたいというのであれば」(と断った上で、)「日蓮宗の宗祖・日蓮(立正大師)は、日本では並ぶ者がいないほど優れた「『法華経』の行者」なので、他の宗派の人からの「偏執」で、その業績は、『元亨釈書』にも、『高僧伝』にも載せられていない。このため、広くその出自は知られておらず、誤解も多い。「俗姓」(ぞくしょう。家柄)は、藤原北家良門流で、

藤原冬嗣─良門─利世─共良─良春─良宗─共資

藤原備中守共資は、京より下向し、初めて遠江国村櫛に居住した。

共資─共保─共家─共直─惟直─道直─盛直

井伊赤佐太郎盛直の長男を井伊良直、二男を赤佐三郎俊直、三男を貫名四郎政直という。貫名氏祖・政直の孫の重真(「重直」の誤り?)の子が重忠である。この重忠の時、伊勢平氏に「与力」(加担)したので、安房国長狭郡東條郷片海の市川村(現在の千葉県鴨川市)に配流されて、その配所で生まれたのが、日蓮上人である。貞応元年(1222年)2月16日生まれである。天福元年(1233年)12歳の時、清澄寺(千葉県鴨川市清澄。現在は日蓮宗)の道善房に入門し、暦仁元年(1238年)18歳の時、出家し、「是生房蓮長」の名を与えられ、「是成(生、聖、性)房」(「蓮性坊」とも)と名乗った。以後、三井寺、薬師寺、東寺などへ遊学し、密教を極めた。弘長(1261-1263)の頃、吉田兼益より神道を伝授され、「法華三十番神説」(日本の神々が、30日(1ヶ月)、毎日番代で『法華経』を守護するという信仰。「法華神道」という。)を打ち立てた。建長5年(1253年)には、朝日に向かい「南無妙法蓮華経」と題目を唱えて、日蓮宗を打ち立てた(立教開宗)。文永11年(1274年)、甲斐国の身延山(現在の山梨県南巨摩郡身延町)を寄進され、身延山久遠寺を日蓮宗の総本山として開山した。弘安5年(1282年)、日蓮は病に犯され、常陸国へ湯治に向かうため身延山を下山。途中、武蔵国荏原郡千束村(荏原郡池上町大字池上字千束。現在の東京都大田区池上)の池上宗仲邸(現在の長栄山本行寺)で休憩したが、弘安5年(1282年)10月13日(11月14日/11月21日)、池上宗仲邸にて入滅(遷化、示寂)。その後、日蓮宗は広まったが、その後、「『法華経』のみが末法において衆生を救済する唯一の教えであり、他の宗派の教えは、かえって衆生を救済から遠ざけてしまう」と傍若無人(自分本位)な言動を繰り返したので、話を聞いた人は皆、日蓮宗を嫌った。

です。

日蓮聖人は貞応元年(1222年)2月16日、安房国長峡郡東条郷片海小湊(現在の千葉県鴨川市小湊小湊山誕生寺の地)に「施陀羅が子」(漁師の子)として生れたといいますが、武士説(幼名:善日麿、父:三国大夫(貫名次郎重忠)、母:梅菊)の方が有名です。

「自神武四十五代聖武天皇 河内守通行末葉 遠江貫名五郎重実と云までは十一代也。重実其子三人有之。嫡子貫名仲太 次男仲三 同三男仲四是也。依所領相論度度上奏致と云ども、依無其下知合戦いたし、一族を亡事多之。然間配所安房国東條片海と云所へ被流畢。次男仲三其子日蓮是也」(『聖人系図御書』)

【大意】聖武天皇の後裔が三国姓を賜った。三国河内守通行が遠江国貫名郷(現在の静岡県袋井市広岡)に住んで「貫名」と名乗り、11代貫名重実の時に所領の争いがあり、合戦となって一族の殆どが討死した。しかし、重実の次男の仲三は生きのびて、安房国へ流されたが、日蓮聖人はこの仲三の子である。
※この『聖人系図御書』は偽書とされています。その理由の1つは、「三国氏は、聖武天皇の後裔ではなく、継体天皇の後裔だから」です。聖武天皇の母親は、藤原不比等の娘・宮子ですから、聖武天皇の後裔は、三国氏というより、藤原氏ですね。

<写真1:日蓮宗の宗紋「井桁に橘」>

貫名氏は、三国氏ではなく、井伊氏の庶子家(井伊家6代宗主盛直の三男・政直が貫名氏の祖)とする説もあり、日蓮宗の宗紋が「井桁に橘」なのは、このためだと言われています。(虎松(後の井伊直政)を匿ったのは、鳳来寺ではなく、石野氏(井伊家庶子家。貫名家初代宗主政直の三男・直友が石野氏の祖)であり、その御礼で、貫名氏やその庶子家の石野氏に対して、井伊直政から橘紋の使用許可が出たとする異説もあります。)

《MEMO》「井筒に橘」ではない。「井桁に橘」である。「井筒」は菱形で、「井桁」は正方形。

 

<写真2:貫名氏系図>

 井伊盛直─貫名1政直─2重實─3重直─4重忠─藥王丸(日蓮)

《妙日寺》

 

<写真3:妙日寺案内板>

 

貫名山妙日寺 妙日寺は、正慶元年(一三三二)身延山久遠寺の日善によって開かれた日蓮宗の古刹です。日蓮宗を開いた日蓮の父の法名を寺名とし、境内は一族である貫名氏の代々の邸宅跡と伝えられています。正面本堂には、一塔両尊四士をご本尊として祀り、本堂東側の思親殿には日蓮聖人と、その両親の木像が安置されています。日蓮の父貫名重忠は、源平の合戦において平氏に味方したため鎌倉幕府から安房国小湊へ流され、その地で貞応元年(一ニニニ)に日蓮が生まれ、父重忠は正嘉二年(一二五八)にその生涯を閉じました。日蓮の両親を顕彰する為の「妙日尊儀、妙蓮尊儀供養塔」(市指定文化財)は、柳生但馬守の寄進と伝えられ、江戸時代初期の形を良く残した五輪塔です。この塔の南側には、貫名氏の歴代の墓所と伝えられていた石野の正覚寺(現在廃寺)から明治時代になって、村人の手によって初代政直、二代行直、三代重実の供養塔も移されました。境内には、遠州の七不思議のひとつ『片葉の葦』が東国へ旅だった重忠を惜しむように東側に葉を付け茂っています。」(妙日寺現地案内板)

 

どうでしたか?

感想をコメント欄に書いていただければ幸いです。

では、最後に原文を載せておきますね。今回の記事を参考に、解読に挑戦してみてね。

一 日蓮上人由来之事
伊勢守貞親モ其座ニヲハシケルガ、次而ニカノ宗門之起リヲ尋ラルヽ。日親申ケルハ「サレバ、開山日蓮ハ、日本無双ノ法華經ノ行者ナレハ、諸宗ヨリヘンシユウノ思ヲナシケルニヤ。其行狀ヲ『元亨釋書』ニモ不被入、『高僧傳』ニモ是ナシ。サレハ普ク其始ヲ不智故二誤多シ。俗性ハ、藤原閑院左大臣冬嗣公御子良門ノニ男・兵衛佐利世、其子・少納言共良ノ後胤也。共良四代ノ之孫備中守・共資、京ヨリ下向、始而遠州村櫛二居住ス。共資五代ノ孫・赤佐太郎盛直、其一男ヲ井伊良直、二男・赤佐俊直、其弟、實名政直ト号。其政直ノ孫二重眞、其子重忠。此重忠ノ時、伊勢平氏二与力シテ、安房國長狭郡東條片海市河村二披配流テ、配所ニテ生スル子、今ノ日蓮上人是也。貞應元年壬午二月十六日生レ。十二歳ニテ清澄山登り、真言之道善法印之門弟ト成。十八歳ニテ出家ト成、始ハ「是成坊」ト号シ、又、「蓮性坊」トモ申ケル。諸宗ニハタリ、禪律密法キハメスト云事ナシ。弘長ノ比、吉田兼益ニ神道ヲ傳受シテ深ク法華經ヲ弘通シ、自解發明シテ一宗ヲ建立有リ。甲斐國身延山ヲ開基有リテ、當宗ノ本山トス。後ニハ爰ヲモ立出テ武蔵國原ノ郡千束村池上ト云所ニテ弘安五年十月十三日、入滅有リテ後ニ、普ク此法天下ニ廣リ、諸宗ニ超過ス誠ニ末法ノ佛道ヒトヱニ我カ宗ニ有リト傍若無人ニ申ケレハ、聞人、皆、是ヲ生憎ケリ。」

 

 

(つづく)

 

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  1. 井伊氏についても、「井伊氏は藤原氏ではなく、三国氏である」とする説があります。

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