タグ:小田氏

  • 北条氏直とは~小田原 北条氏第5代当主

     北条氏直(ほうじょううじなお)は、相模の戦国大名で小田原城主、後北条氏の第5代当主だ。  生年は1562年で、父は第4代当主の北条氏政、母は正室・武田信玄の長女(黄梅院)、小田原城で誕生した。  戦国大名・北条…
  • 筑波・小田城と小田氏治の頑張り~8回も奪還を試みた小田城は防御は弱かった?

    茨城県つくば市にある国指定史跡「小田城」と、常陸の大名「小田氏」の記録です。 常陸・小田城 茨城県つくば市小田にある常陸・小田城です。 おだはおだでも、織田信長の織田ではなく、小田のほうになりますが、織田家…
  • 多気山城と多気氏の関係は?

     質問回答編とは?  当方関連サイトにお寄せ頂きましたご質問などに対して、相模原の歴史研究会所属会員が回答するものです。古い歴史にはわからないことが多いですので、もちろん歴史認識の違いや間違えなどがあるかも知れませ…
  • 筑波・神郡の名刹「普門寺」

     インターネット上での記録が失われそうですので、下記の留めておく事に致しました。  茨城県つくば市神郡(かんごおり)にある名刹「普門寺」の記録です。  たまに普門寺境内を散策する方も見られます。 (さらに&hel…
  • 沼田竜替城(茨城県つくば市沼田字竜替)

     沼田要害城は、つくば市にある筑波山(876m)の麓(ふもと)の沼田地区にある、燧ヶ池(三角池)のすぐ北側の高台がその場所だ。ただし、高台と言っても比高はわずか5mほどである。  沼田地区は標高20m(推定)であり…
  • 小田氏の存亡~常陸・小田家の命運

    小田家最後の大名・小田氏治  戦国時代末期に小田氏は滅びることになるが、その最後の当主となった第15代小田氏治(おだうじはる)について、記録を残しておきたい。  小田氏治(1534年~1602年1月6日)は、父で…
  • 梶原政景(梶原景国)とは

    大田資正の子である梶原政景(梶原景国)も父・大田資正同様、もしくはそれ以上と評価が高い武将である。   父・太田資正と共に、梶原景国(梶原政景)は佐竹の庇護を受ける事になったが、父と独自に小田氏治とも戦をしていること…
  • 岩槻城主・太田資正と太田氏資と岩槻城訪問記~岩槻城の戦い

     太田資正(おおたすけまさ)、太田三楽、太田三楽斉、太田三楽斎、太田三楽斉道譽  1522年~1591年  岩槻城の太田氏  太田資正は名将・太田道灌の曾孫にあたり、弱小勢力ながらも知勇兼備の将として名を馳せ…

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気になる戦国女性

  1. 千姫(せんひめ)は、徳川秀忠とお江の長女として、1597年4月11日に伏見城内の徳川屋敷で産まれた。…
  2. 石井彦鶴姫は、1541年に肥前・飯盛城主である石井常延(石井兵部少輔常延)の次女として生まれました。…
  3. 稲葉一鉄(いなば-いってつ)は、土岐頼芸の家臣・稲葉通則の6男として、1515年に美濃池田の本郷城に…
  4.  於菊(おきく)は真田昌幸の5女で、名胡桃城で生まれた。  真田信之・真田信繁らの妹に当たる。生年…

人気の戦国武将

  1. 今川義元(いまがわ-よしもと)は、1519年、駿河・遠江守護の今川氏親の5男として生まれた。幼名は芳…
  2. 三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、1572年に武田信玄が3万の軍勢を動員した西上作戦として…
  3. 稲葉一鉄(いなば-いってつ)は、土岐頼芸の家臣・稲葉通則の6男として、1515年に美濃池田の本郷城に…
  4.  戦国時代最大とも言われる山岳戦となった三増峠の戦い。  武田信玄が勝利したとも、北条氏照が勝利し…
限定「頒布」開始しました。無くなり次第終了です。
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