滝山城の探訪記と写真集~登城所要約90分も見応えある城


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 滝山城(横山城)は、多摩川沿いにある標高160mの丘陵地を活かした連郭式山城で、1521年、近くの高月城主・大石定重(武蔵守護)が築城したとされる。
 やがて戦国時代となり、小田原城北条氏康が勢力を伸ばすと、滝山城主・大石定久北条氏康の3男・北条氏照を娘婿に迎え、北条家の軍門に下った。

 その築城能力の高い北条家によって、1558年頃から滝山城は改修されたと考えらる。複雑な地形を巧みに利用した天然の要害で、当時としては関東随一の規模だった。
 1569年には、甲斐の武田信玄が、小田原城攻めを行う際、20000の軍勢で滝山城を攻めた為、北条氏照らは2000で籠城。
 武田勝頼らの活躍で三の丸まで攻め込まれたとされ、武田勝頼が北条方の侍大将・師岡山城と一騎打ちで3度槍を交えたと伝えられている。
 北条氏照は二の丸の二階門に駆け上り応戦。
 しかし、武田信玄の目的は小田原であったこともあり、無理に滝山城は落とさず、先を急いだとされ、武田信玄の帰路では三増峠の戦いで、再び北条氏照とあいまみえている。

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 今回、滝山城を訪れるに当たっては、滝山城址下バス停付近の滝山城入口から登ってみた。大手口と考えられている正式なルートだ。
 まず、天野坂(三の丸の下付近)に、社があったので、激戦で命を落とした武者に対してお参りしたが、何の神社か?は不明。
 ※掲載写真はすぺて、クリックすると拡大します。

 せっせと登り坂を登ると見えたのが三の丸手前の天野坂に残る土塁。若き武田勝頼は、父・武田信玄や武田家臣に認められたく、この辺りを必死に攻め登ったのだ。

 三の丸を過ぎると尾根に出て、あとは平坦な道のりとなる。コの字の道を過ぎると、通路の左側上に広い「千畳敷」があった。

 下記は二の丸付近。結構広く、中央に通路があり、三差路で分かれている。もちろん、土塁や空堀も見られる。

 滝山城は東西・南北500mに至る巨大な城郭で、城内に家臣団の屋敷を儲け、本郭、中の郭(千畳敷)から台地の頂上を南西へニノ郭、三ノ郭と連ね、そこから中心の沢を囲む形で尾根づたいに北へ家臣団の屋敷群が続く。
 山城とは言え、三の丸、二の丸、中の丸は、ほぼ平坦な道で舗装もされいる東京都立公園であり、歩きやすく、登山の準備も必要ない。

 下記は広い中の丸と、多摩川越しに拝島方面の展望。この中の丸の直下にも、曲輪のような跡が残っていた。戦いぶりを多摩川対岸の拝島・大日堂の本陣で見守っていた武田信玄は、三の丸まで攻め込んだ事で、北条氏照を追い詰めたとして囲みを解き、兵を率いて小田原城へと南下して行ったのだ。
 写真ではわかりにくいが、中の丸の奥にある古民家風の建物は、以前、国民宿舎「滝山荘」があった場所に建てられている。滝山荘は老朽化の為2000年3月31日に閉館し取り壊された。

 中の丸から、独立した本丸の峯に掛かる「引橋」。引橋は曳橋とも書き、常時は橋として使用するが、有事の際には橋を引き込んだり、橋の踏板を外すなど、敵が渡橋できない状態にする橋の事だ。
 現在の引橋は復元と言うよりは、ただ、橋を掛けた状態と言えるが、引橋は北条家が築城した城の多くに見られる防衛方法。

 大河ドラマ「天地人」のロケでも撮影された場所ですね。

 曳橋(引橋)を渡ったとこにある。本丸入口の虎口の土塁。

 下記は本丸部分で、ちょっと高い所に霞神社がある。

 本丸の端には大きな井戸もあった。

 下記は、滝山城・南側、二の丸の下あたりから、三の丸に伸びる迫力ある大きな空堀。

 このように滝山城の遺構としては本丸・中の丸・千畳敷跡空堀などがなかなか良い状態で残っており、国史跡に指定されている。
 しかし、武田信玄・武田勝頼に簡単に攻め込まれた事で、以後、滝山城では耐え切れないと言う判断で、その後、北条氏照は高尾付近の深沢山に八王子城を築く。
 八王子城に北条氏照が入ったあとの滝山城主には、家臣の中山家範が城主となったと考えられる。この中山氏は、のちに水戸藩の家老となり、水戸光圀を推挙した家系である。

行き方・アクセス

 滝山城の見学所要時間は1時間~2時間程度。
 八王子市が4000万円掛けて、2014年秋、滝山城の南側に無料駐車場が完成。

 朝8時~18時まで駐車場が開いています。自動で駐車場のゲートが閉まるタイプなので、夕方時間にはご注意を。
 無料駐車場の場所は下記の地図ポイント地点となります。
 毎度ですが、地図は縮尺変えてご覧ください。

 今回は平日の朝8時くらいから滝山城に登ったので、途中で会う人は公園の管理業者さんくらいだった。
 ただ、帰りに天野坂を下った際、結構「ヒザ」に来たので、トレッキング・ストックを持って登ればよかったと後悔。
 あと夏場は「虫除け」必須です。比較的ジメジメしていますので、蚊がスゴイです。
 滝山城のあと、八王子城に行こうと思っていたのだが、麓に降りた際には、諦めようと思ったくらい疲れ果てていた。しかし、アイスコーヒーを飲んだら復活したので、気を取り直して車を八王子城に向けた。

 なお、滝山城付近の見どころとしては、拝島大師も良いが、解散してしまったファンモンのDJケミカル (田野倉 智文)さんが住職を務める「法蓮寺」(八王子市川口町)がある。この法蓮寺には、武田家が滅亡した際に、恩方に逃れて来た松姫と一緒に行動していた、仁科盛信の娘・督姫が一時滞在し、この法蓮寺で出家したと言う記録がある。滝山城から車で約15分。

高月城と圓通寺~大石家の本拠地(おまけ二宮城)
大石定久の生涯
北条氏照に関してはこちら
八王子の史跡・史蹟一覧~八王子城・滝山城からマイナー館跡まで

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