田代城と細野城(新野城)~神奈川県愛川町


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 田代城は、小田原北条氏家臣の内藤下野守秀勝(内藤秀勝)が半原・田代・角田を領して1555年~1558年位に築城されたと考えられる。
 田代中学校付近には居館が構えらたと考えられ、背後の山には、狼煙台が設けられたようだが、行政の拠点としたようだ。

 細野城(新野城)は、愛川町役場の裏山で、田代城から中津川を挟んだ対岸にある標高170mにある山城で、防御目的の城。
 築城は田代城から少しあとになる1557年~1570年くらいとされ、同じく内藤秀勝が築城したようだが、田代城・細野城についてはハッキリとはわかっていない。

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 内藤氏は津久井衆である内藤氏の支族と考えられ、内藤秀勝は小田原北条氏の家臣として半原・田代・角田を137貫を知行した。
 内藤秀勝には子の内藤秀行(内藤三郎兵衛秀行)がおり、またその子には内藤定行と、代々受け継いだようだ。
 半原の勝楽寺には内藤秀行の墓があり、清雲寺も内藤秀行の開祖とされており、内藤秀行が田代城に居たのは間違えない。
 なお、津久井城最後の城主説の1人である内藤綱秀は、この田代内藤氏から出たとも考えられていることからも、田代城や細野城(新野城)は、津久井城と小田原の連絡中継点として支城的役割を持っていたものと考えられる。
 1569年、武田と北条の戦「三増峠合戦」の主戦場にほど近く、合戦史料に田代城や細野城の名前こそ出てこないが、地元では内藤秀行の代の時であり、武田信玄によって三増峠の戦いの直前に落城したと言われている。田代城は三増合戦後に廃城となったようだ。
 また、内藤氏は小田原北条氏の没落に殉じ、その後の消息は不明である。
 津久井城については、津久井城と三増峠の戦いのコーナーをご覧頂きたい。

 

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