出羽・館山城~伊達家最初の米沢本拠地?


スポンサーリンク
スポンサーリンク

米沢の館山城(たてやまじょう)は標高310mの山城で、比高は60mあります。

築城者や年代には諸説あり、奥州藤原氏の一族・新田経衡の居館との伝承もありますが、1587年頃に伊達政宗が築いたとするのが一般的です。
その前の1584年には、隠居した伊達輝宗が館山城に移つり、隠居所が完了するまで家臣・鮎貝宗重の屋敷に住んだと言います。

 スポンサーリンク


そして、1585年に完成した館山城の館に入りましたが、二本松城主・畠山義継の策略により、1585年10月8日、伊達輝宗は42歳で横死しました。

2001年からの発掘調査にて、大規模な縄張りと家臣団屋敷跡などと見られる遺構が発見されており、総構えになっていたと推測できます。
ただし、石垣も出ている事から、伊達政宗の時代に大改修したと言うよりは、その後、直江兼続の時に、米沢城の出城として改修が完成形となったものと感じます。

発電所に掛かる橋の手前に館山城址解説板があり、そこから奥へ進み、砂利道を進むと空き地のようなところ(二の丸跡)が無料駐車場となっています。

二の丸跡は2kmx1.5kmあるそうで、かなり広くビックリしました。
その為、米沢での最初の伊達家の本拠地は、規模的にもこの館山城であるとする説もあります。

また、直江兼続の米沢城下拡張では、1611年の段階で館山城の近くまで、武者屋敷が広がっていたと言います。

上記写真は館山城の二の丸跡にある、伊達政宗誕生地の碑です。
ここが伊達家の本拠であったとの説からですね。

さて、館山城への行き方ですが、下記の地図ポイント地点が無料駐車場の場所となっています。
米沢城からは車で10分くらいですので、セットでどうぞ。
私有地につき立入「大歓迎」と記載がありました。(^-^)
ありがたい話ですが、ご厚意を無駄にしないためにも、ゴミを散らかしたりせず、静かに見学するなどマナーは守りましょう。

伊達政宗【詳細年表】~独眼竜・伊達政宗
伊達政宗~5年で114万石にした独眼竜政宗のすごいところ
片倉喜多とは~伊達家を支えた戦国の烈婦
米沢城と上杉神社~訪問記・写真集
伊達輝宗とは~伊達家の行くすえを政宗に託した名君
米沢の林泉寺にある上杉家墓所~仙洞院・菊姫・直江兼続・お船の方の墓

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1. 常高院(じょうこういん)・浅井初(お初、於初)は、1570年に小谷城にて生まれた。 父は小谷城主・…
  2. 立花誾千代とは 立花誾千代(たちばな-ぎんちよ)は戸次鑑連(立花道雪)の一人娘として筑後(久留…
  3.  彦姫は、米沢城主・伊達晴宗の4女として、1552年?に生まれた。兄に岩城親隆・伊達輝宗などがいる。…

人気の戦国武将

  1. 錦帯橋(きんたいきょう)は、国の名勝で「日本三名橋」「日本三大奇橋」とも選ばれています。 初代…
  2. 長篠城を包囲した武田勝頼に対して、徳川家康・織田信長が38000の援軍を派遣すると、武田勝頼が120…
  3. 筒井順慶(つつい-じゅんけい)は、筒井城主・筒井順昭の子として1549年3月3日に生まれた。 母は…

オリジナル戦国グッズ

限定「頒布」開始しました。無くなり次第終了です。
戦国オリジナルバック

 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります
 オリジナル書籍
柳生一族
書籍・電子書籍にて販売開始

 オリジナル電子書籍

戦国武将研究会著作

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信可能。

ページ上部へ戻る