小山城の訪問記~栃木県小山市の祇園城、下野・小山城と天翁院の小山氏累代の墓所


スポンサーリンク
スポンサーリンク

小山城(おやまじょう)と言う名の城跡は、全国にあるので、検索して探し出すのも難しいですが、このページでは栃木県小山市にある下野・小山城をご紹介致します。

別名は祇園城(ぎおんじょう)と呼ばれますが、結構、地元でも祇園城と呼ばれますので、関東に住む者としては、祇園城だと言われれば、ああ、小山市の小山城のことだとわかります。(私だけだったら、すみません。)

ちなみに、小山氏の城跡として国の史跡に指定されています。

下野・小山城は、1148年に小山政光が築城したのが始まりとされています。

 スポンサーリンク


小山氏はもともと藤原秀郷の後裔と称している太田家からの分家と言う事で、小山政光が下野・小山に移つってから小山氏を名乗りました。

当初は近くの鷲城の支城として小山城が用いられたようですが、南北朝時代に小山泰朝が小山城を本拠とすると、重要な拠点として機能するようになりました。

戦国時代の1576年、小山秀綱が北条氏政に降伏すると、以後は北条氏照の支配下となり、三田綱勝などが小山城主となっています。
そして、北条家によって改修され、北関東攻略の拠点となりました。

北条家(北條家)らしく、大きな堀切などが現在も残っていますが、写真だとわかりにくくて、唯一、分かりやすいのが下記の1枚でした。

1590年、豊臣秀吉のよって北条家が滅びると、江戸城に入った徳川家康の領地となり、関ヶ原の戦いのあとの1602年頃には、玉縄城主・本多正純が小山城に入っています。

しかし、1619年に本多正純が宇都宮城主となると、小山城は廃城となりました。

下記地図のポイント地点は、城山公園の無料駐車場入口となります。

天翁院・小山家累代の墓

小山城の北には1155年に小山政光が開基したと伝わる天翁院(てんのういん)があります。
もともとは別の場所に創建したようですが、1472年に小山高朝が現在地に移転させたようです。

本堂の左奥、墓地の一番西側に小山家累代の墓があります。

ちょっと、写真では墓標の上が欠けてしまいましたが、上段の中央にあるのが小山義政の墓で、その左の比較的新しい墓石などが妻子の墓との事です。 
下記は、小山政光公の顕彰碑ですが、写真の左上のがそうです。事前調査不足でミスショットしました。

小山家累代の墓がある場所は、特に案内板なども無く、非常にわかりにくかったです。
下記の地図ポイント地点が、その小山氏累代の墓がある場所となりますが、どのお墓がそうなのか?は、わかりにくいので、上記の写真を手掛かりに探し当ててみて下さい。

なお、小山評定跡の石碑は、小山市役所の駐車場にあります。
詳しくは下記をご覧願います。

犬伏の別れ~真田家の生き残りをかけた決別の地「犬伏」と「小山評定跡」訪問記
本多正純~吏僚としての才能を発揮し徳川幕府の為に尽くすも
関ヶ原実用観光マップ作りました〜関ヶ原の戦い史跡観光スポット情報

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1. 曳馬城主である飯尾連竜(いいお-つらたつ)は、今川義元に仕えていた。 飯尾致実(いいお-のりざね)…
  2.  1547年?に誕生した「おね」は、尾張国の杉原定利の娘(次女)で、母は朝日殿。  生まれてす…
  3.  阿南姫(おなみひめ)は、米沢城主・伊達晴宗の長女として1541年に生まれた。兄に岩城親隆、弟に伊達…

人気の戦国武将

  1.  真田幸村(真田信繁)とは?どのような人物だったのか?  真田幸村は1567年に武藤喜兵衛昌幸(の…
  2.  石田三成の波乱に満ちた生涯について公開されているホームページは多い。ただし、年表式に石田三成を解釈…
  3. 遠藤直経(えんどう-なおつね)は、近江の須川城主・遠藤主膳の子として1531年に生まれました。通称は…

オリジナル戦国グッズ

限定「頒布」開始しました。無くなり次第終了です。
戦国オリジナルバック

 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります
 オリジナル書籍
柳生一族
2016年10月、書籍・電子書籍にて販売開始

 オリジナル電子書籍

2016年8月、戦国武将研究会著作
ページ上部へ戻る