横須賀城(遠江)訪問記・写真集~見応えのある城郭遺構


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遠江の横須賀城は、徳川家康の命を受けた大須賀康高が1582年6月3日に築城した城です。

大須賀康高は、武田勝頼が1574年に高天神城を陥落された際に、浜松城に逃れてきた将兵の1人です。

高天神城に対抗するため、徳川家康はまず1574年8月1日に馬伏塚城を大須賀康高に改修させました。
その後、より高天神城に近い、この水軍の拠点もあった横須賀湊に城を築いたのです。

戦国時代の頃の横須賀城は、小笠山丘陵の先端部でして、南側はすぐ海で、東と西も入江(海)や沼に囲まれた要害でした。
城内には船着場もあったと言います。

写真でご覧頂ける通り「玉石積み」とよばれる、天竜川の河原石を用いた石垣になっており、これは日本の城としては大変珍しい石垣になっています。
1996年に復元されました。

また、普通であれば1つしかない大手門が、この横須賀城には東西の両方にあったと言います。

上記は本丸の天守台跡です。

上記は西ノ丸下から撮影。

上記は本丸下から撮影。そんなに高くない平山城です。

上記は、北の丸から望んだ松尾山ですが、この松尾山もそんなに高い山ではありません。

松尾山の上はこんなかんじでした。

上記は、松尾山から撮影した、本丸です。

上記2枚は、本丸脇にある、三日月堀です。
そんなに大きくはありません。

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1581年に、徳川勢が高天神城を奪った後は、高天神城は廃城となり、この横須賀城が遠州南部の拠点となりました。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めで、徳川家康が関東に移ると、横須賀城は渡瀬繁詮に与えられましたが、領民は重税に苦しんだと伝わります。

江戸時代には「横須賀藩」が成立し、榊原康政の嫡男・大須賀忠政が初代藩主となっています。

江戸時代には三層四階の立派な天守があったようですが、1707年の東海地震で崩落してからは再建されなかったようで、海岸線も隆起して海が遠のいてしまったため、用水路を作って堀代わりにしたようです。

横須賀城の見学所要時間や行き方はこちら
大須賀忠政~8歳にして横須賀城主に抜擢された徳川家臣
榊原康政とは~武勇と知勇を馳せた徳川家の重臣

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  1. 2016年 1月 15日

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