松平康俊と於大の方【徳川家康の母】の運命


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松平康俊(まつだいら-やすとし)は、坂部城主・久松俊勝(ひさまつ-としかつ)の3男として1552年に生まれました。
この父・久松俊勝は、徳川家康の生母・於大の方(伝通院)が再婚した相手であり、松平康俊はその於大の方(伝通院)が産んだ子となる。

ただし、徳川家康(松平元康)の父は、岡崎城主・松平広忠であり、松平康俊の父は久松俊勝であるため、松平康俊は徳川家康の異父兄弟となる。

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1528年生まれの於大の方(おだいのかた)は、緒川城主・水野忠政が父で、母は華陽院(於富の方・於満の方)となる。
この母・於富の方(於満の方)は、水野忠政との間に水野忠重や於大の方ら3男1女を生んでいたが、岡崎城主・松平清康がその美貌に惚れて、和睦の条件として離縁させて、松平清康の継室となった。

1535年、松平清康が家臣の阿部正豊に殺害されたあと、於富の方(於満の方)は出家も許されなかったようで、、星野秋国、菅沼定望、川口盛祐と次々に再嫁するが、いずれも夫に先立たれている。
のち、今川義元を頼って駿府に赴くと、出家して源応尼(げんおうに)と称し、のち松平竹千代(徳川家康)が人質となった際には、元服するまで養育に当たったとされる。

於大の方は、14歳の頃である1541年(1540年とも)に新たに岡崎城主となった松平広忠の正室となり、天文11年(1542年)12月26日、嫡男・竹千代(徳川家康)を生んだ。
松平広忠と於大の方が、三河・鳳来寺に参詣したことで子を授かったともされている。

しかし、於大の方の父である水野忠政の死後、家督を継いでいた於大の兄・水野信元が1544年に今川家を裏切って、織田家に臣従する。
そのため、今川家との関係悪化を懸念した松平広忠は、於大の方を離縁して水野家に送り返した。
その後、兄・水野信元が椎の木屋敷にいた於大の方を再婚させたのが、阿古居城主ともされる久松俊勝であり、1547年のこととなる。
そして、於大の方は久松俊勝との間に、松平康元、松平康俊、松平定勝、多劫姫らを産んだが、竹千代に対しても頻繁に贈り物を送ったとされている。

1560年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、松平元康(徳川家康)は今川家から独立の動きを見せる。
1562年の清洲同盟では、於大の方の兄・水野信元が織田家との仲介を果たしたこともあり、於大の方が久松俊勝との間に産んだ松平康元、松平康俊、松平定勝らに松平姓を与えたと言う事になる。

その松平康俊は、12歳の頃となる1563年に、徳川家康の命にて、駿府の今川氏真に人質として出された。
その後、武田信玄の人質として甲斐に送られたが、1570年冬に徳川家が甲斐より奪還している。
しかし、この時の逃走劇にて松平康俊は両足の指を凍傷で失ったと言う。

その後、松平康俊は1583年に駿河・久能城主となったが、1586年5月20日に死去した。享年35。
その松平康俊の墓所が、徳川家康の正室だった築山殿の墓の隣と言う事になる。

松平康俊は3男で、早く亡くなったこともあり、多くの動向はよくわかっていない。

於大の方は、1582年に久松俊勝の死後、菩提寺の安楽寺で剃髪して伝通院と号している。
そして、晩年は徳川家康が迎えており、1602年には、豊臣秀吉の正室・高台院や、後陽成天皇に拝謁している。
その年、1602年8月28日に於大の方(伝通院)は、徳川家康と共に滞在していた伏見城で死去した。

智恩院で葬儀、遺骸は江戸に移されて大塚町で火葬したあと、傳通院に埋葬された。

松平康俊の墓がある浜松・西来院の場所に関しては、築山殿の記事をご参照願いたい。

瀬名とは~築山殿は悪女だったのか?築山御前が殺害された本当の理由とは
徳川家康【超詳細版】~徳川家康にすごく詳しくなれる詳細版
久能山城と板垣信安・今福浄閑斎【久能山東照宮と徳川家康の墓】
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