明智光秀公顕正会 30周年記念フォーラム参加レポート

西教寺

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2018年6月14日、滋賀県大津市坂本の西教寺にて、明智光秀公のご法要と、明智光秀公顕正会の30周年記念フォーラムが行われ、わたくしは顕正会会員として、参列させて頂きました。

西教寺石碑

当日はとても良いお天気で、多くの方が西教寺へ訪れておりました。

私も愛読させて頂いている三浦綾子先生の「細川ガラシャ夫人」にも西教寺は登場し、紹介されておりました。

この日は本堂にて特別に、明智光秀公の肖像画など、明智家にまつわる貴重な品々の展示もされておりました。

山崎の戦いに敗れてしまった明智軍…その時、明智光秀公の娘婿である明智秀満公が琵琶湖を馬で渡り、坂本城まで戻ったという史実がありますが、その時の馬に使われていたという鞍の展示もありました。
秀満公がどのような想いでこの鞍にまたがり坂本城へ向かったのか…その時を想うと、胸が熱くなりました。

そして外の本堂横では、お茶席もひらかれておりました。
この日の為に限定で作られたという桔梗形のお饅頭と、お抹茶が振る舞われておりました。

お茶席

桔梗のお饅頭は上品な甘さで、お抹茶ととても合っており、美味しかったです。

桔梗饅頭

そしてお茶の器も桔梗模様でした。温かいお抹茶を飲み終え器の底に目を落とすと、そこにも桔梗模様が描かれておりました。

桔梗の器

明智家に対する深い愛を感じ、心まで温かくなるような細やかなおもてなしに、感動致しました。
(お茶席・500円)

その後、正午より、明智光秀公と明智家一族の墓前法要が行われました。
美しい花が供えられ、そこには桔梗の花の姿も。

明智一族の墓

一族の墓前法要後、明智光秀公の妻、煕子夫人の墓前法要も行われました。
煕子夫人の墓前にも、美しい桔梗の花が供えられておりました。

妻木煕子の墓

墓前法要が終わりますと、12:30頃より、明智光秀公とその一族の追善法要が本堂にて行われました。
明智光秀公の娘でキリシタンである細川ガラシャ姫をイメージされていらっしゃるのか、パイプオルガンの厳格な音色から法要は始まりました。

明智光秀辞世の句

平日だったにも関わらず、本堂に入り切らない程多くの方がお越しになっており、亡くなり436年たった現代でも、明智光秀公はこんなにも人々に愛されているんだなと、感慨深い想いになりました。

明智光秀辞世の句紹介

その後13時頃より、明智光秀公顕正会30周年記念式典が開始されました。

滋賀県や大津市の皆様だけでなく、明智光秀公の縁の市町村からも多くの役員の方がこられており、その中にはわたくしもお世話になっている、京都府長岡京市、福知山市、亀岡市等の大河ドラマ協議会の皆様のお姿もありました。
また遠方からは、岐阜県や福井県からもお越しになられており、多くの土岐一族の皆様のお姿もありました。

明智光秀一族紹介

式典後、細川忠興公とガラシャ姫の長男、忠隆公のご子孫である細川珠生様から、代々お家に伝わる明智光秀公や細川ガラシャ姫のお話をお聞かせ頂きました。
細川家では明智光秀公は正義感溢れる立派な父親であったと伝えられているそうで、珠生様も明智光秀公を父のように慕っていると話されておりました。
そして代々キリシタンだそうで、ご自分の洗礼名はガラシャだと仰られておりました。

妻木煕子紹介

細川珠生様とは二度目の対面で、前回は東京での明智家細川家の大河ドラマ誘致署名活動の際に、応援に駆けつけて下さり、お話致しました。
あの日から何ヶ月も経ちましたが、我々を覚えて下さっており、温かくお声かけを頂きました。そして、大河ドラマ「麒麟がくる」の決定を喜びあいました。

そして、明智光秀公のご子孫である、明智憲三郎先生の講演会もございました。
憲三郎先生の著書、本能寺の変431年目の真実の内容を元に、本能寺の変についてや、明智光秀公について等、詳しくお話して下さいました。
調べれば調べる程、新たな発見があられるようです。
そして、軍記物や惟任退治記等の不鮮明さをより感じ、本能寺の変の際に、何か大きな力がいくつも動いていたのだなと思いました。
いつかパズルのピースが埋まり、本能寺の変の謎が解ける日が来るかもしれないと、先生のお話を聞きながら希望を感じました。

妻木一族

式典が終了致しましたら、希望者のみの参加となりましたが、懇親会も開かれました。

懇親会では、私も前に出てお話させて頂き、大河ドラマ誘致署名活動のことや、長岡京市や福知山市等の大河ドラマ決定へ向けてのこれまでの取り組みについて等、お話させて頂きました。

また懇親会では、滋賀県大津市、福井県、岐阜県恵那市などの関係部署の方々ともゆっくりお話させて頂き、共に協力し「麒麟がくる」を盛り上げていきましょうと、決意を新たに致しました。

各地にお住いの土岐氏一族の方々ともお話させて頂き、演技を通し歴史や明智光秀公、細川ガラシャ姫の生き様を伝えているとお話すると、その想いを持ち活動を続けてして欲しいと仰って下さり、勇気を頂きました。


懇親会では、明智憲三郎先生にもご挨拶をさせて頂きました。
先生の著書を元に演劇の台本を作らせて頂き、各地のイベントの舞台へ立たせて頂いているとお話しましたら、大変喜んで下さりました。

明智光秀公顕正会の会員として初めて参加致しましたが、とても温かく迎え入れて下さり、顕正会の皆様に感謝すると共に、明智光秀公を愛してらっしゃる皆様の心の温かさを感じ、素晴らしい時間を過ごさせて頂きました。

今井かな西教寺石碑

明智光秀公と明智家が好きでよかった、改めてそう感じたご法要と顕正会フォーラムでした。

西教寺紹介

(寄稿)今井かな

明智玉子(細川ガラシャ)とキリスト教の関係考察
伊也姫のお噺~本能寺の変により動かされた細川忠興の妹の運命
松井康之は丹波水軍の優れた大将だった~細川家の重臣
松井康之と本能寺の変 細川家重臣
明智光秀に関してはこちら
細川忠興~文武両道の名将として戦国の世を・・
細川幽斎(細川藤孝)~断固たる態度を取った戦国大名

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今井 かな乙訓戦国つつじ副代表・NHK大河ドラマ誘致キャラバン隊「細川ガラシャ」役・紅桜剣舞会関西支部・春うらら組・役者・歌手・詩吟・MC・モデル・殺陣演者・ライター・ナレーター等

投稿者プロフィール

タレント、リポーターを経て、現在は甲冑劇やおもてなし活動を通し、歴史の観点から地域を盛り上げる活動を行う団体「乙訓戦国つつじ」の副代表として活動。
甲冑劇や幕末劇に出演し、NHK大河ドラマ誘致キャラバン隊の細川ガラシャ役、本能寺おもてなし隊の濃姫役、新選組おもてなし隊の沖田総司と市村鉄之助役や、ライターだけでなく、役者、イベントMC、歌手、吟者、モデル、ナレーターとしても活動中。
その他、殺陣団体「紅桜剣舞会関西支部」では、殺陣演者としても活動中。
兵庫県立明石城では春うらら組としても公演を行い、詩吟「摂楠流」門下でもあります。

HP→ https://www.facebook.com/kamokamo04

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