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足柄城(あしがらじょう)は、静岡県と神奈川県の県境である「足柄峠」付近にある北条家が築城した城です。

最初は小田原城主・北条氏綱が1536年に足柄城を築城したようですが、1555年には北条氏康が、三田郷(厚木市)の百姓に命じて、足柄城改修の普請人足を命じた古文書も発見されています。

更に、甲斐の武田信玄と手切れとなると、足柄古道の防衛が重要となり、1569年から1571年に掛けても石切衆十人を動員して大規模な改修を行っています。

1571年、武田勢によって駿河・深沢城が陥落すると北条綱成が足柄城へ退却したのち、玉縄城まで撤退しました。

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1582年頃には足柄峠の出入りが厳しく制限されて全面的な通行禁止になっていたようです。
武田が滅亡し、織田信長も横死し、深沢城が徳川家の支配下になったかも知れませんね。

豊臣家との戦が現実味を帯びてくると、最前線でもあったため、1587年に北条氏光が足柄城主となって更に改修しました。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際には、佐野城主(唐沢山城主)・北条氏忠(北條氏忠)が足軽100名ほか鉄砲・弓・槍隊を率いて、足柄城代となり守備しますが、山中城がたった半日で落城したと聞くと小田原城へ入ったため、足柄城に残った兵は依田大膳亮ら僅かとなります。
そして、徳川勢の井伊直政の攻撃を受けてると、十数名とも26名とも言われる兵が討死し、降伏して落城しました。

小山町側から望む足柄峠の山波

上記写真は小山町側から望む足柄峠の山波です。
下記は松田町側から見た足柄峠方面です。大きな山は矢倉岳ですので、その左側が足柄峠になります。

足柄峠を望む

足柄峠は864年に富士山が噴火するまでは、静岡から足柄峠(標高759m)を越えて神奈川に入る「神の御坂」として、この足柄街道が関東へ入る古東海道として主要街道でした。
富士山が噴火した時に、現在の箱根越えの東海道ができた訳ですが、その後、東海道と足柄街道は併用されました。

関東なて盗賊が横行し、西へと拡大してくると、899年に「足柄の関」が設けられ、1年足らずで退治するなど効果を発揮してからは、何かあると関守が配置されたと言います。

1083年の仲秋の名月に、新羅三郎義光が数十騎の兵を連れて足柄峠を越えています。
この時は、奥州の乱に出兵した兄の八幡太郎義家の援軍として足柄峠に差し掛かりました。
そして、自分は戦死するかもしれないと悟り、新羅三郎義光は塚に腰かけて、豊原時元の子・豊原時秋に、笙の笛の秘曲を伝授し、豊原時秋を京に帰したと伝えられています。

新羅三郎義光吹笙之石
※各写真はクリックすると拡大します。

1335年、後醍醐天皇は建武政権に反旗を翻し、鎌倉に入った足利尊氏を討つために、新田義貞・脇屋義肋・二条為冬らを派遣します。
これに対して、足利尊氏は足柄峠に布陣し、足利直義は箱根に布陣。
南朝側の新田義貞は箱根峠へ進軍し、実弟・脇屋義助は足柄峠へ向かいました。
そして、1335年12月11日、箱根方面で戦闘になった他、足柄峠の麓である静岡県小山町竹之下でも戦闘となり「箱根・竹ノ下の戦い」と呼ばれます。
この時、二条為冬が討死し、新田義貞らは総崩れで敗走となりました。

足柄城

足柄城は足柄峠から見ると、比高は10mです。

足柄城

今回は、この足柄関所跡から足柄城へ登ってみますと、物見台があったとされる南郭に出ました。

足柄城の南郭

南郭からは、足柄峠の上を現在「橋」が渡されています。
上記ピンボケですいません。

足柄城の橋

その橋を渡ったところが、足柄城の本丸です。

足柄城の本丸

本丸から北西に向けて、二の郭、三の郭、四の郭、五の郭と、それぞれ空堀にて仕切られている堀切があります。

足柄城の堀切

本丸の北側には玉手池があり、雨乞い池、底知らずの池とも言われています。

足柄城

足柄城の玉手池

雨が何日も降っていないあとに訪問しましたが、それでも水を湛えていましたので、ちょっとした湧水になっているのではと推測致します。

足柄城の底知らずの池

伝承では池の底が小田原城まで通じているとされていますので、誰か試して頂けないでしょうか?

足柄城

当然、天気が悪いと雲の中ですので「霞城」とも呼ばれています。

足柄城から見た大涌谷の噴気

上記の写真、わかりますかね?
入山規制になっている箱根・大涌谷の火山「噴気」も見えました。

足柄城

なお、足柄城の支城としては通り尾砦(万葉公園)、浜居場、阿弥陀尾、猪鼻などの砦があるそうですが、足柄街道の監視程度であると推測致します。
さて、サービスショットの富士山です。

足柄城から望む富士山

訪問したのが10月上旬で、まだ富士山は初冠雪にはなっていない模様です。

足柄峠から見える富士山

足柄城から眺める雄大な富士山はまさに絶景であり、城好きと関係ない、写真好きや富士愛好家も訪れる場所です。

足柄峠の堀切と富士山

是非、空気が澄んでいる日を狙って訪問してみてください。

足柄峠

足柄城への行き方・アクセス

昔は駿河小山駅からも路線バスが出ていたのですが廃止となり、バスの場合は箱根登山バスにて、関本(大雄山駅前のバスターミナル)から終点の足柄万葉公園バス停まで行けます。
しかし、2015年現在では平日は運行なし。土日に1日2本だけで、しかも12月~3月は運休と、かなり不便です。
なお、足柄万葉公園バス停から、足柄城には歩いて10分くらいです。

車の場合には下記のポイント地点の場所が無料駐車場で10台くらい止められます。
地図は縮尺を変えてご覧下さい。
なお、足柄峠は標高760mでして、下界より気温も5度は低いです。
冬季は路面が凍結しますので、足柄城を攻めるとしたら今でも冬季はキケンです。
なお、足柄万葉公園は、通り尾砦と言う支城ですが、明確な遺構はありません。

すぐ近くの足柄関所跡と金太郎はこちら
後醍醐天皇の負けず嫌いな執念と室町幕府や南北朝時代になった背景
箱根・山中城の訪問記はこちら
麓にある深沢城の訪問記はこちら
河村城の畝堀(障子堀)~河村城の訪問記

 

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