茅ヶ崎城~横浜の整備保存された茅ヶ崎城址公園



茅ヶ崎城(ちがさきじょう)は、鎌倉武士・多田行綱が築城したとの伝承もありますが、現在では、小田原城の北条家による築城と推定されている標高32m、比高20mの丘城(山城)です。

新編武蔵風土記稿では、多田山城守塁跡と呼ばれ、平安時代末期の摂津守頼盛の子である多田太郎が城主であったと伝えています。
西方の観音堂は、多田太郎の子孫である多田行綱の建立とされ、東方台地上の寿福寺も多田家菩提所との伝承があります。
恐らくは中の道(中原街道)を抑える為に築かれたのでしょうが、早淵川を使った小舟での水運も可能だったのかも知れません。

戦国時代には小机衆のひとりでこの辺りを知行していた座間豊後が茅ヶ崎城代として城主になったとされていますが、深沢備後守であると言う説もあります。

北条家の勢力が鶴見川流域から早淵川周辺へと伸びていく過程で改修されたと考えられ、やがて相模国を統一すると茅ヶ崎城の重要性は薄れ、小机城に重点が置かれたと推測致します。

座間豊後は小机茅ヶ崎に50貫200文とあり、座間新左衛門は10貫文で小机折本と見受けられます。
また、座間弥三郎(坐間彌三郎)が、茅ヶ崎・折本・池辺のあたりの領主とされています。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際には、小机城に僅かな兵を入れて、小机衆の大半は小田原城にて籠城に加わりました。
この時、茅ヶ崎城を含む11ヶ村には、豊臣秀吉より略奪や放火を禁止した禁制が発布されています。
そして、徳川家康が関東に入ると、小机城共々茅ヶ崎城も廃城となった模様です。

なお、神奈川県の茅ヶ崎市と言えば湘南ですが、ここの茅ヶ崎城は、横浜市都筑区であり、全く場所が違うので注意が必要です。

茅ヶ崎城の縄張図

下記は茅ヶ崎城の中郭下から見た写真です。
各写真はクリックすると拡大致します。

茅ヶ崎城

茅ヶ崎城は自然の丘のくびれ部を堀切にした、複数の郭が連なる連郭式であり、天守閣のような大きな建物や石垣は当然無かったようです。
「東郭」「中郭」「西郭」「北郭」の4つが主要な郭となります。

茅ヶ崎城の空堀

上記は、左が中郭(中曲輪)で、右が西郭(西曲輪)となります。

茅ヶ崎城の西郭

その西郭は上記のような感じでした。

茅ヶ崎城の中郭

上記は茅ヶ崎城の中郭です。一番広いですので、本丸と言えるでしょう。
倉庫のような建物跡も発掘されているそうです。

茅ヶ崎城の土塁

中郭を覆う「土塁」も、なかなか規模が大きいものでした。

茅ヶ崎城の北郭

上記は、中郭から見た北郭(北曲輪)です。
北郭は早淵川方面に張り出ている、一段低い土地となります。

茅ヶ崎城の井戸跡

北郭には井戸跡もあります。
トイレの脇ですので、見落としそうです。

茅ヶ崎城の根小屋

根小屋もあったようですが、この看板の下の住宅地と言う事でしょう。
ただし、住宅地は港北ニュータウンで、だいぶ改変されてしまっています。

茅ヶ崎城の東郭へ

東郭へ登る階段です。
中郭と東郭は土橋もありますが、そこは通行できません。

茅ヶ崎城の東郭

東郭(東曲輪)も平面になっていました。

茅ヶ崎城

港北ニュータウンとして開発された場所で、しかも中心地付近ですが、多摩ニュータウンと異なり、遺構が比較的良く残されており、よくここまで保護できたと感心致します。
土塁、空堀、郭がはっきりわかります。
なお、畝堀・障子堀は確認されていません。

茅ヶ崎城

以前はただの雑木林でしたが、横浜市が茅ヶ崎城址公園として整備を進め、2008年6月28日からオープンしました。
歩道は舗装されていますので、とても歩きやすいです。

茅ヶ崎城址公園への入口は、北側の2箇所のみとなります。
見学所要時間は20分~30分で、トイレも完備されています。
茅ヶ崎城には駐車場はありませんが、コーナンなどの駐車場を利用すると良いかも知れません。
ただし、横浜市営地下鉄のセンター南駅から徒歩5分ほどですので、横浜市営地下鉄にて訪れる事をお勧め致します。
下記の地図ポイント地点の場所が、茅ヶ崎城への入口となります。

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