今治城~吹揚城とも呼ばれた日本屈指の海城


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今治城(いまばりじょう)は、輪郭式平城で、別名は吹揚城、吹上城(ふきあげ)とも言います。
海を活用した海城でもあることから、高松城、中津城と共に日本三大水城の1つになっています。

関ヶ原の戦いの戦功により、伊予20万石となった国府城主・藤堂高虎が、1602年に今治城を築城開始しました。

普請奉行は、2万石でとも言われる高禄にて迎えた渡辺了(渡辺勘兵衛)が担当したと言います。

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今治城は瀬戸内海に面した海岸線に築かれた大規模な平城であり、海水が三重の堀に入り込む設計になっており、港などを備えた日本屈指の海城となりました。
堀の水は、潮の干満によって海水が入れ替えできるようになっており、国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城となりました。

今治城

今治城

今治城の第1駐車場は普通車56台で、1時間100円。
駐車場の場所は下記の地図ポイント地点が入口です。

ちなみに、土日祝の朝9時~16時は、南東側の道路沿いが無料駐車可能となりますが、当日、標識を良くご確認のうえ、止めて下さい。

下記の石碑があるところが、大手の入口です。

今治城

いや~、大手から見える今治城の鉄御門・多聞櫓、そして高麗門のこの風景、素晴らしいですね。
カッコイイですよね。枡形虎口(ますがたこぐち)になっています。

今治城の大手口

下記の写真、お分かりいただけますかね?
石垣の下が、すぐに水堀(海水)になっている訳では無く、周囲を「歩ける」ようになっています。
犬走りと言いますが、地盤を強化するために、このような形状になったと推定されています。

今治城の犬走り

当時としては画期的な枡形を多用したり、層塔型天守の採用などが見られ、その後の城郭普請に大きな影響を与えています。
下記は扉を鉄板で覆っている「鉄御門」です。

今治城の鉄御門

今治城の二の丸部分に出ました。
各写真はクリックすると拡大致します。

今治城

騎馬に乗る藤堂高虎の銅像もあります。

藤堂高虎の銅像

下記は井戸です。

今治城の井戸

1604年に天守が完成し藤堂高虎が今治城に入ったようで、当時は今張(いまばる)と呼ばれていましたが本拠とすると今治と改名しました。

今治城

下記は、御金櫓です。
天守の中を有料見学する際のチケットで、この御金櫓の他、山里櫓、鉄御門、武具櫓の4箇所の中も見学可能です。

今治城の御金櫓

天守は、模擬天守です。
創建時はにあった五層天守は「層塔型」(そうとうがた)と言う、いわゆるピラミッド型の天守でして、恐らくは日本で初めて、当時の今治城が五層の層塔型天守だったそうです。
構造が単純で、建てやすかったので、のちの各地の天守で採用されています。

今治城

下記は、今治城跡にある吹揚神社です。

吹揚神社

なかなか立派な社殿さんですので、しっかりお参りして参りました。

吹揚神社

1608年頃には今治城のすべての建物も完成しましたが、1609年に藤堂高虎が伊勢・国津城に移封となった際に、天守は解体されて、天下普請となった丹波・亀山城に移築されたと伝わります。
なお、藤堂高虎は譜代並みの扱いにて移封となったのですが、今治2万石は飛び地となって、養子・藤堂高吉が今治城主となりました。

今治城

ここで、今治城の真ん中などから撮影した動画があります。
動画もご覧頂けると、より一層、今治城のイメージがつかめると存じますので、もしよろしければご覧下さい。

さて、今治城の内部ですが、結構、史料の展示がありましたが、最上階以外は撮影禁止との事で、展示品の写真はありません。
最上階まで、階段をせっせと登って行きました。
下記は、最上階から瀬戸内海側の展望です。

今治城からの展望

下記写真の乗禅寺山門は、今治城の門を移築したものと伝わります。

今治城の移築門・乗禅寺山門

現在の今治城の天守は、再建天守ですが、当時の史料はないので、史実とは異なる形の天守となり、実際の天守があった場所も一応は不明となっていますが、まぁ、だいたいあっているような気がいたします。

今治城

下記は内部から見た山里櫓です。

今治城の山里櫓

下記は、外から見た山里櫓と今治城の天守です。
ここまで、復元されている今治市の方針は、本当に敬意を表したいと思います。

今治城

1635年、藤堂高吉が伊賀・名張に移ると、伊勢・長島城から松平定房(久松定房)が入り、明治維新まで今治藩は久松松平家が今治城主を務めています。

今治城

さて、所要観光時間ですが、天守と城郭内部を見るだけでしたら、50分くらいです。
内堀周りも歩きながら撮影すると、70分程度必要だと思います。

今治城

JR今治駅には、臨時レンタサイクル(貸自転車)もあります。
歩くと駅から約15分の距離です。

以上、最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。

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