甲斐小山城と南部宗秀


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 甲斐の小山城(こやまじょう)は、甲府盆地南東にある天川に面した河岸段丘上にあります。

 甲斐と駿河を結ぶ古道・鎌倉街道(御坂路)や若彦路に近く、交通の要衝の抑えとして築城されたようですが、築城年代は不明です。
 江戸後期に編纂された甲斐国志では、1450年に河内領主の穴山氏の一族である穴山伊豆守が在城しており、甲斐守護の武田信重と敵対したとされています。

 1523年には鳥坂峠から南部城主・南部宗秀(南部下野守)が侵攻したため、小山城主・穴山信永は花鳥山で戦うも敗れます。
 そして、小山城にて籠城しますが落城し、穴山信永は常楽寺で自刃しました。

 こうして、小山城は南部宗秀の支配下となりました。

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南部宗秀とは

 南部宗秀の家系は、甲斐源氏の流れを汲み、南部光行の後胤で、武田信虎に仕えていたようです。
 その後、武田信玄にと引き続き使えましたが、1548年に乱行を理由に、武田信玄によって甲斐追放となります。
 この時、会津まで流浪したようで、そこで餓死したとされており、この時、小山城は廃城となりました。

 南部宗秀の子・南部満秀は改姓して、河西満秀と名乗り武田信玄に仕え、甲斐の巨摩郡鏡中条を知行します。
 しかし、長篠の戦いにおいて、主君・武田勝頼を助けようとして討死したと伝わります。

 その後、1582年の天正壬午の乱では、御坂城を築城開始した北条勢に備えるため、徳川家康が甲府にいた鳥居元忠に命じて、小山城を再利用して改修させたとされます。

 甲斐の小山城の本丸

 本丸跡の周囲に土塁と堀跡が残っていますが、堀も浅くなっており、本丸も綺麗に整地されてしまっています。

 甲斐の小山城の堀

 見た感じでは、余り防御には優れていません。館跡と言っても良いでしょう。
 見学所要時間は30分といったところです。

 甲斐の小山城への行き方・アクセスですが、下記の地図ポイント地点に車を止められる駐車場があります。
 余り案内とかはないので、地図を良く見てお出かけ願います。
 
 

 この付近には日帰り温泉もありますので、時間があればお立ち寄りください。
 →日帰り温泉情報「山梨」

 

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