上山城と上山満兼~上山城の写真集も


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上山城(かみのやまじょう)は、山形県上山市にある平山城で、別名は月岡城とも言います。
1535年に、上山の地を奪還した上山義房の子である高楯城主・武衛義忠が築城したのが現在の上山城となります。
城主は武衛義節、その子・上山満兼と続きましたが最上義光と対立し、伊達家と一緒に山形城を攻めるなどしました。

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1580年、里見民部が寝返り、最上義光が上山城を攻めると上山満兼は討死し、里見民部が上山城主になっています。

最上家が改易された後は、蒲生忠政、山形城主・鳥居忠政の城代と言う時代を経て、1628年に土岐頼行が25000石で入封しました。

上山城の本丸跡

この土岐氏の時代に上月城は完成しましたが、土岐頼殷が大坂城代となると、その後は幕府直轄領となり、上月城は破却され、堀などもほとんどが埋められました。

上山城

のち、飛騨国高山から金森頼時が入封すると、破却された上山城の二の丸に御殿を建設。
※各写真はクリックすると拡大します。

上山城

1697年には、備中国庭瀬から松平信通が30000石で移封してくると、本丸など上山城の修築が行われています。
松平(藤井)家によって幕末まで上山藩は続きました。

上山城の月岡神社

上記は本丸跡にある月岡神社です。
なにげなく、月岡神社の鳥居から入った境内に、車を止めましたが、その月岡神社のある場所が本丸跡と言うのにはあとで気が付きました。(^_^;)

上山城

現在の模擬天守のある場所が二の丸跡になります。

上山城

本丸を囲んで一段低い周囲が二の丸となっており、麓は外堀に囲まれています。

上山城

月岡・天神森にそびえる壮麗な城郭として知れわたったと言います。

上山満兼

上山満兼(かみのやま-みつかね)は、上山城主・武衛義節の子として誕生しましたが、生年や母の名は不明です。
上山満兼の家柄は最上八楯の筆頭である天童氏の一族であり、自身も最初は武衛義政と称しました。

上山満兼の正室は、中野義清の娘(最上義守の妹)で、山形城主・最上家とも親戚となり、上山領の安定化を図ったと言います。

天正最上の乱では最上義光に初め協力したが、最上義守に味方した伊達勢が上山城付近の樽下へ進軍した際に寝返って、伊達勢の通過を許しています。

そのため、最上義光から睨まれる結果となり、1578年、上山満兼は伊達輝宗の援軍を得て最上義光を攻め、最上勢は大きな被害を受けました。

1580年、最上家の家臣・氏家守棟と谷柏直家らの調略を受け、上山満兼の一族でもある重臣・里見義近と里見民部の親子が謀反を起こします。
里見民部は、自身の兄でもある里見内蔵助を殺害し、上山満兼は最上義光から上山城を攻撃されました。

この時、里見民部は城の内部から攻撃したため、上山満兼は討死しました。

その後、上山城主には里見民部が就任するも、のち、里見民部は最上義康の殺害に加担した罪を問われて、命を落としています。
なお、里見内蔵助の遺児・里見元勝は、父の仇である里見民部の一族の多くを殺害したうえで、伊達政宗に仕えています。

土岐頼行が整備した上山城

上山城の土岐灯篭

上記写真は、上山城を整備した際の土岐灯篭です。

上山城の石碑

上山城の復興天守の内部は資料館になっています。

上山城

内部は写真撮影禁止ですが、展望台からの景色は撮影が許可されていますので、連続で掲載させて頂きます。

上山城より市街地を望む

下記写真ですが、上山城から虚空蔵山城も望めました。

上山城から虚空蔵山城を望む

下記は展望フロアから望んだ、本丸跡です。

上山城から望む本丸跡

上山城から城域の風景

下記は、復興天守の東側にある「足湯」です。
無料ですので、タオル持参で訪れましょう。

上山城の足湯

その他、お土産物店、そばなどの軽食、トイレなどが完備されています。
見学所要時間は、展示資料をしっかり見ると60分といったところですが、私の場合には、所要30分でした。

なお、北西の麓に「武家屋敷」が4棟保存されていて見学できますが、駐車場がなさそうでしたので、通行しての車窓だけで済ませてしまいました。

地図のポイント地点は、上山城の無料駐車場の入口となります。
縮尺を変えて地図はご参照願えますと幸いです。

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